高野は第3病棟の、入院していた部屋とは別の病室から発見された。睡眠薬を投与されていたが、命には別状はないと言う。退院手続きの担当は高橋になっていた。
「で?」
「何だ?」
広瀬がそう切り出したのは、2時間経って、一山いくら、と言いたくなるような警官と鑑識に一通り説明し終わったあとだった。七海は席をはずしている。
「俺は依頼主だぜ?何がどーなって誰がどーした、って聞く権利はあるんじゃないか?」
「高橋と、彼と関係していた紫藤会が、八神の殺害を計画した。それだけだ」
「……探偵、てのは、事件の概要を1から10まで説明してくれる、って義務があるだろ」
「少なくともDDCにはない」
「お前に、だろ。いいから説明しろ。新岡にお前の家の住所、ばらすぞ」
ある意味、凄い脅迫だ。
「――何が、聞きたい」
「まず、あの身元不明の男性から」
高橋に向けておこなった説明を繰り返す。広瀬は首をかしげながら、疑問を口にする。
「八神と紫藤会の同じ組だろ?俺はあまりそういうの詳しくないから、よくわからないけど、保釈金まで出してもらったのに、何で命を狙うんだよ?」
「紫藤会は、裏で薬も扱っていた。八神は、実際に薬を使った奴にまで保釈金は払っていない。店を潰すだけで、他の奴等を助けたのは、彼なりの情けだろう」
だが、紫藤会からしてみれば、薬から得る利益は店の売り上げより大きかった。あの場にいた人間なら、本郷の問いに返した八神の答えは、店を潰すため、と分かっただろう。
戸間は、八神を襲撃する前に一回整形を行っている。そして、襲撃後、さらに整形を重ねた。それを知っているのは、紫藤会と、手術をおこなった市川医師だけだ。だが、彼らは不安になった。本人と市川医師が秘密を漏らすのではないかと。そして、まだ八神の命を狙っていた。戸間に大量のヘロインを打ち、八神の入院する、そして市川が勤務する病院の前に放置した。戸間は捨て駒にされたのだ。身元照会と称して特別室へ行き、あわよくば、八神と市川を亡き者に出来ると。
「だが、紫藤会のトップ――藤崎は、特別室のセキュリティは知っていた。だから、何度も、八神の元を訪れ、完治するまでは、と退院を引き伸ばしながら策を練っていた。そこで思いついたのが、さっきの事件だ。本来は、市川医師がやらされるはずだった」
第3者が特別室へ入れないのなら、IDカードを所有している医師を脅し、殺害させればいいと。
「それを拒んで、市川先生は殺されたのか…?」
「彼は、自殺だ」
詳しい鑑識結果が出たのは、今朝だった。紫斑と索状痕から、自殺と判定された。
「…だったら、何であの薬品会社から見つかるんだ?」
「死体を移動させたのは紫藤会だ。目的は、市川の死因を分からなくすること。これは達成できなかったがな。そして、高橋への脅迫材料」
「お前もこうなりたくなかったら…か?でも、何であの薬品会社?」
「――それは今、警察が調べている。紫藤会と関わりがあって、証拠隠滅のため、とも考えられるが、あの時、あそこで火事が起きて、得をするのは誰かわかるか?」
「…大野沙希を殺害した犯人、だろ?ひいては、五十嵐医師?」
それもある。ただし、彼の場合は単なる偶然だ。
「高橋は、八神殺害を急かされていた。もし、重症の患者が多数運び込まれたら、延期の格好の理由になるだろ」
「――それって。八神1人を殺すのが嫌だったから、全く関係のない人間を多数、犠牲にしたのか?」
広瀬は思わず立ち上がる。
「最悪のパターンでは、そうなる」
今のところ、あの薬品会社と紫藤会、もしくは高橋との接点は見つかっていない。世紀末だな。いつかの七海の台詞と同じことを言って、広瀬は座りなおす。
「何でお前は、そういうことを表情も口調も変えずに淡々と話せるのかね?」
激情に駆られては、真実を見極めるのは難しい。感情のコントロールも出来ずに現場に赴いて、緻密な捜査を出来るとは思えない。
「――あれだな。お前と新岡――探偵と女優の共通点」
どこかで聞いたフレーズ。
「思考と感情と表情は全くの別物」
七海が入ってくる。長瀬明美としてではなく、本心から戸惑っているようだった。
「面会者が来ているんですけれど」
日付けが変わってまだ30分。朝一の訪問というのには、いささか早すぎる。
正面玄関は、相変わらず警官たちでごった返していた。しかし、そこにいる誰もが動きを止めている。1人の男が立っていた。本郷よりは、だいぶ年上だろう。だが、その体格と威圧感は、普通の人間では持ち得ない。1m程の距離まで近づく。背丈は、本郷のほうが上。
「八神会長に面会を申し込みたい」
「――すでに、面会の時間は過ぎている」
「緊急だ」
杓子定規な会話は意味がない。近くにいた警官に、吉川に伝えるよう頼み、男を促す。
「…誰だ、あれ」
警官たちの後ろから、背伸びをして覗いていた広瀬に、七海は心の中で答えを返す。八神の右腕。事実上のトップ。この病院に来るのは初めてだが、名前は、佐竹と言ったはずだ。部下を連れずに1人で来た、ということは余程のことか。本郷はそれを予期していたようだ。一体、陰で何をやらかしている?
面会者の特別室への入室方法を聞くのを忘れた、と思ったが、緊急時のセキュリティ解除はまだ続いていた。エレベータホールで何人かの刑事とすれ違う。さすがに、この騒ぎで八神は起きていた。佐竹は、本郷を退室させたかったらしいが、八神に止められた。もっとも、今では意味を成していない原則でも、医師の立会いがなければ入れない決まりだ。
「夜分につき、取り急ぎ報告のみです。紫藤会と、栄流会」
「そうか」
「いかがなさいます?」
「どうしたい?」
質問は本郷に向けられた。
「紫藤会はこちらでも把握しています。栄流会は、何を?」
「麻薬の売買。今回の件とは関係なく、また、紫藤会とは全くの別ルートでした」
答えたのは佐竹。1日足らずでよく調べたものだ、と感心する。指示を受けたのは側近の数名だけだろうに。
「――ならば、素直に警察に引き渡していただきたい」
少なくとも自分が駆り出されることがないよう。
「借りを作ったようだな」
「――貸すほどのものでもない」
その答えに、八神は笑った。それでも借りは借りだ、と。
「カタギではないようですな」
服装は社長クラスのビジネスマンと医師。だが、外見と中身は伴うものではない。潜入捜査で佐竹と顔を合わせることはなかった。伝わる外見的特長も、その最たるものが今の自分にはない。八神も話してはいないようだ。
「――カタギ、の定義が分かりませんが」
「うちの弟分を言いくるめたらしい。会長の退院について。行動そのものは堅気だが、相手を考えると、そうではない気がする」
「別に――。必要のない入院費用を払っているのも馬鹿らしいでしょう。何より、ずっと同じ場所で同じことをしていると、呆けるのも時間の問題ですし」
会長が呆けるというのは想像できん。その言葉に、一瞬首を縦に振りかける。
「もし、その生活に飽きたら、いつでも歓迎する」
正面玄関には、部下であろう姿が現れていた。顔を知っている刑事もいるだろう。しかし、何が出来るわけでもない。
「――残念ですが。カタギの生活も、悪くはない」
「――その定義を、教えてもらいたいものだ」
八神にしろ佐竹にしろ。1個人であれば、自分にとって普通の人間と変わりない。やっている事を容認するわけにはいかないが、耳に入る彼らの活動は、他に比べて際立っている。末端は除くとして、彼らは知能派だ。そもそも八神が法学部、佐竹が経済学部出身だと聞いた。半世紀前の知識でも、基礎が出来ているからなのだろう。警察が、中枢組織を捕らえられないのは。
「ヤクザのボスと仲良く話してるって、おかしいことじゃないのか?DDCとして」
佐竹が帰るやいなや、本郷を当直室に連行した広瀬は、そう言いながら食べかけのケーキを口に運ぶ。
「おかしいか?」
「おかしい。敵対関係だろ、一応」
「向こうが何もしてこない以上、対立していてばかりは無駄だ。使えるところは使う」
「…お前って、そういう意味では無駄がないよな。冷酷、というか」
食え、とケーキを皿に載せて差し出す。
「で。さっきの話の続きだ」
「まだ何かあるのか」
ケーキが2つに増えた。
「お前、いつから高橋先生が怪しいって気がついたんだ?」
別に話す必要はない、と思ったが、ケーキがこれ以上増えるのは避けたかったので、素直に答える。
「おかしい、と思ったのは、例の火災の時だ」
「何で?」
「院内放送は入ったが、至急、救急病棟に集まれ、ということだけだった。詳細は、俺が電話で聞いただけだ。何故、彼は応急医療器具の入った鞄を持ってきた?」
「あー…」
俺、鞄ひったくって外に出たことしか覚えてないや。既に3個目のケーキにフォークを刺す。
コンコン、とドアをノックする音。
「すみませんが、本郷先生。調書を取らせていただきたいのですが…」
大量のケーキを囲んでいる2人に、吉川は固まっていた。
陽が昇る直前の時間。空全体が7色のグラデーションに染まる。この風景は嫌いではない。
刑事の中には、モールス信号ぐらい使える人間はいるだろう。戸間の部屋から出てきた本を使ってもいい。彼が完全回復するかは分からない。
「煙草、吸うか?」
広瀬は1本加え、箱ごと差し出す。
「めずらしいな」
「たまにはな。3ヶ月ぶりぐらいかな」
本郷も1本貰う。1年ぐらい吸っていない気がする。病院の敷地内で唯一喫煙できる屋上。虹色の空を白い煙が割っていく。
「新岡からパソコンにメールが来ていた。朝ごはん、作ってくれって」
「…誰に?」
「うちの食事係はお前だろうが。いいぜ、6時前後なら一旦帰っても。で、みそ汁作って持ってきてくれ」
「馬鹿を言うな」
柵にもたれる。久しぶりの煙草はそれなりに美味かった。
「そういや、腕は大丈夫なのか?」
結局、本郷に付き合って一睡もしていない広瀬は、欠伸をしながら尋ねてきた。
「たいした怪我じゃないと、言っているだろう」
「分かったよ。もう、お前のことで心配するのは止めるわ。無駄以外の何物でもない」
医者として。友人としては、まだ時間がかかるかもしれない。
「なぁ、お前の足。最初、切ってやろうかと思ったって言ったら、信じるか?」
怪訝そうな表情は一瞬。
「――お前に、出来るのか?」
微かではあるが、笑っていた。
だったら。
「出来ないな。天才だから」
自分も、笑おう。いつか、笑って、お前が選んだ道は間違っていなかったと、堂々と言える時が来るだろう。
「お勤め、ごくろーさん」
人のいなくなった正面玄関に七海は1人立っていた。七海光太郎である。長瀬明美ではない。あの時の?という広瀬に、先に当直室へ戻ってろと言う。
「俺は帰るぜ。長瀬明美の予定でもあるしな。とりあえず、寝てくる」
「――寝ていただろう、今まで」
あらやだ、覗き?長瀬明美の声で軽やかに笑い、時計に目をやる。
「団先生には、当初の予定通り、1週間現場って伝えておくから」
「あの男性の身元は判明した。仕事は終わりだ」
何言っちゃってるの。肩を、ぽん、と叩く。
「お前がいなくなったら、誰が正義のヒーローの動くジャングルジムやるんだよ?」
「ふざけるな」
「はいはい。じゃぁ、真面目にしますか?高橋と五十嵐がいなくなって、お前までいなくなったら、特別室へ入れるのは、広瀬医師だけになる。八神は明日退院するが、他2人が移動するまで、連日オトモダチを病院に閉じ込めてく訳にはいかないだろ」
本郷の肩を軽く押して、踵を返す。
「せいぜい日替わり当直頑張れや。それと、彼女にもよろしく」
それから――。振り返る。歩みを一瞬止める。
「迷子に、なるなよ?」
にやりと笑って、七海は出て行った。
陽が昇る。七海の姿は、ただのシルエットになる。そして、消えた。
後ろを振り向く。診療室へ続く廊下。そこへ向かって伸びる自分の影。
「――どうやったら、迷うと言うのだ」
今まで歩いてきた道。これから歩く道。道標はない。自分が歩いたところが、道になるだけだ。
050305
「SEE YOU AGAIN」の2ヵ月後の話です。あれが高校時代の話でしたので、今回は大学…というより、社会人の話というべきか。本郷先生は絶対、前職があると思い込んでいますので、もしもそれが医者だったら?という感じで
最初は「本郷先生って白衣似合いそう」と言っていただけでした。それが何故か、話になり、事件ものもどきになりました。
本当は「SEE YOU AGAIN」のオリキャラ総出演でやりたかったのですが、さすがにまとまらないと、4名だけ。本郷先生は普段一人称「私」ですが、友人の前だったら「俺」って言って欲しいなという願望。
今回で、この世界の話は終わりと思います。八神はどこかで使いたいですが