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 紫乃が来たのは空が赤く染まる頃。往診から帰ってきた本郷と、診療所の前で鉢合わせた。
「きっと先生は食べられなかったでしょうから」
 と饅頭を持ってきた。瑞枝にも、皆さんで、と随分な量を渡す。いつもすみません、と瑞枝は裏店の住人に配りに行った。人を払うのは欠月として来たということだ。しかも急を要する事で。
「お店に来た人から妙な話を聞いたわ。例の心中の二人――瓦版を読んだけれど、そっちの話ではなくてね、生きていた頃の話よ」
 風はないが、幾分か暑さが和らいだ二階の部屋。七海をたたき起こし、紫乃は当然のように熱い茶をいれる。
「お客さんは、その二人を見たというの。江戸に入るずっと前にね」
「江戸に入る前?」
 赤い空を背に、窓枠に腰掛けていた七海が訊ねる。暑かろうと寒かろうと、そこは彼の席だ。
「女性が身につけていたものに見覚えがあったんですって。簪なのだけれど」
 思わず顔を見合わせる。七海は簪を取り出した。
「それ、どうしたの?」
「究が持ってきた。川底に落ちてたらしいぜ。多分、死人を移す時に落ちたんじゃないかな」
「岡引に盗られるよりはいいわ」
 簪を受け取った紫乃は、しげしげと眺め、良い物ね、と感想を口にした。
「お客さんは鮮明にこの簪を覚えていていたのだけれど、気になることもあって、黙っていたそうよ」
「旅人なら、身元が分からないのも頷けるな。で、妙なことって?」
「彼女はどこかの大名の付き人らしいの。で、その大名達は大きな積荷を持っていた。藁で包まれた、四角いものを」
 三人の視線がぶつかる。その積荷が氷ならば。氷が盗まれ、共をしていた女が心中遺体で見つかる。これは何やら。
「男の方は分からねぇか。ちなみに、その客ってのは」
「飛脚の五平さん」
「あぁ、五平さん」
「見かけたのは五日前で、奥州道中の宿。五平さんが江戸に着いたのは三日前。氷が盗まれたのが一昨日の晩だから、氷も三日前には江戸に入っていたでしょうね――つまり、それが五平さんの気になること」  五平の足の速さは飛脚の中でも群を抜いている。彼しか知らない近道もあるという。そんな相手に、大荷物の集団が敵うだろうか。
 とん、と七海が窓枠から飛び降りると、部屋の中がさらに赤くなる。
「そうだな、おかしな話だ」


 ――――浮かねぇ顔してんなぁ
 昨日と同じ事を言われる。声の主は一階の屋根の上。外は土砂降り。それでも屋根の上の童は濡れた様子もなく、日向ぼっこをするかのように四肢を伸ばしている。光が闇を裂き、遠く近くで音が鳴る。天が怒れば雷雨などと、誰が言ったのか。
「町に落としてはくれるなよ」
 ――――そんなん、おいらは知らないよ。あいつが落ちたいところに落ちるさ
 いつだったか、雷獣が本郷の家めがけて落ちてきたことがあり、屋根が焦げた事があった。子供や獣の機嫌によって右往左往する人間は実に無力だ。
 ――――そんなんが心配なんじゃないだろ?
「新月が近い」
 ――――あぁ、そっか。あやがいないから。お前、何か見つけたかい?
 ――――気になる輩はおりますなぁ
 そらの問いに、屋根瓦が答えた。物であろうと長い年月を経れば、付喪神となる。ただ、普通の付喪神はせいぜい夜にしか動けないし、動かない。ゆめみ達のように人の姿に化けるのは難しく、瓦が通りを闊歩していたら、それこそ大騒ぎだ。
 ――――先の人間の騒ぎも気になりますなぁ
「それが、問題だ」
 傍から見れば屋根に向かって独り言を言っているようだが、この雷雨の夜、出歩く物好きなはいない。もっとも、稀に見る物好きな七海は出かけて行った。
 ――――化けるのは物の勝手だからなぁ――おっと
 何に気が付いたのか、そらは――見られる恐れはないのに――二階の屋根に飛び乗った。瓦も口を閉ざす。
「いやぁ、参った!」
 一つ雷が鳴った後に、今までそらがいた所に七海が現れた。いくら人がいなくとも、二階から入ってくるとは何事だ。
「何だよ、この雨と雷。人が出歩かないのはありがたいけど、出歩く方にとっちゃ、迷惑だ」
 屋根の上でそらが笑っている。
「五平さんに聞いてきた。荷物は荷車に載せて馬に引かせていたんだけど、五平さんが見たときは、車輪が壊れて足止めを食らっていたんだと。馬は何頭かいたから、数名なら早く江戸に入る事はできただろうけど、荷物は無理だって言ってた」
「なら、あの女はその一団と見て間違いないか」
「簪見せて確認したさ。女房の土産に探していたから覚えてたなんて、妬けるねぇ」
 氷を持ってきた一団。その中の一人が心中遺体となり、氷は盗まれた。
「二つは関係あるだろうな。女が氷を盗んで、それで殺されたか、もしくは氷を盗まれるのを女が目撃して殺されたか――心中なんて穏やかなもんじゃねぇ」
「しかし、五平さんの話では」
「氷はまだだろうってな。だから、旅篭に行ってみた。床下に潜っていたら声が聞こえたぜ」
 咳払いを一つして、声の調子を変える。どうやら芝居をやるようだ。
「主人は何と言っている――もう少しと――明日中には何とかしろ――この雨なら向こうも足止めをくってはいるかと――我々には時間が出来たが、また馬でも出されたら――ここで女中がやって来ておしまい」
「また、というのは」
「その前に拍手とかお捻りとか」
 残しておいた紫乃の饅頭を投げ渡す。
「そう。足止めをくっている者がいて、そいつらが馬を使ったら、宿にいる人間には都合が悪い。しかも、またって事は、以前もあったんだろうな――お茶は」
 茶筒を投げつける。
「お前、食べ物を粗末にするなよ」
「明日中に何とかする、というのは、氷の件だろう。それは城へ行くためか。それとも」
「足止めをくっている向こうの都合かもな」
「それなら」
「雨がやみ次第、奥州道中の方へ行ってみるさ」




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