TOPcreation > 欠月 (相関図)






「へぇ、随分と食い意地のはったねずみもいたもんだ」
 夏の夕暮れは遅い。一階の診療所の奥で――単に屏風で仕切っているだけだが――七海は相変わらず団扇を扇いでいた。本郷はかまどから目を離さずに答える。
「食い意地がはっているのはお前も同じだろう」
「別に俺はそんな」
 七海の腹から音が鳴る。手先の器用な男だが、かまどとの相性の悪さは何とも言いようがなく、彼が以前住んでいた裏店の部屋は早々にかまどが壊れ、それについて七海は「俺が悪いんじゃない。こいつ、火がつかないんだ」と弁明した。とは言え、火がつかなくとも花火を投げ込むという手段はあるまい。かまどが壊れてから七海は、本郷の家へ飯を食べに来ており、二月前には完全に居候になった。それでも先の件もあり、本郷は七海をかまどに近づけさせない。つまり、飯の準備は本郷の仕事であり、七海はどこをどうみても唯の居候。それを見越して壊したのではないか、と思うのは本郷だけだろう。
「紫乃からは」
「あぁ、いつも通り」
「饅頭は」
「食っちゃったよ」
 悪びれもせず、七海は答えた。二階から叫んだ饅頭とは伝言があるという意味ではあるが、これで食い意地が張っていないとは、よく言ったものだ。抗議するのも馬鹿らしく、本郷は話題を変える。
「究の話は」
「あまり代わり映えしないね。明日、もう一回見に行くって。その執念はたいしたもんだけどな――心中に間違いはないんだろ?」
「水死には、だ」
 生きていようと死んでいようと、この辺りで医者が必要となれば本郷に声がかかる。検視――同心が事故か自殺と判断した場合の――もしかり。
「殺されたとでも?」
「外傷はなかった。動物にかじられた跡はあったがな。心中か事故か殺されたかは、俺には分からん。役人が勝手に心中として片付けただけだ」
「究が疑ってるのも、その辺りかな――あぁ、それでこれ、預かっておいた」
 取り出したのは究が持ってきた簪。
「――よく手放したな」
「どこかで落としたって騒いで帰ってくるぜ」
 手をひらひらとさせて、七海はにやりと笑った。手癖の悪さは見事といわざるを得ない。出会う前の七海が何をやっていたのか聞いたことはないが、それはお互い様だ。


 三日月の明りは雲に隠れがち。しかし目は慣れている。提灯はあくまでいらぬ疑問をもたれないためのもの。
 寺子屋はしんとしていた。提灯をたたんで裏に回り、挨拶もせずに中に入る。明りひとつない部屋。そこに人がいた。
「遅くなりました」
「私も今、来たところよ」
 そう答えた紫乃は少し横へ動いた。本郷と七海が加わって、ちょうど円陣を組むように。上座に座った男、連城が口を開く。
「今回の依頼人は、江戸の入口にある旅篭の主。秘密裏に探して欲しいものがあると」
「探しものは」
「氷」
『氷?』
 三人の声が重なる。この暑い中、氷とは。
「氷って…どういうことですか?」
「投宿した大名が持ってきた城への献上物だそうだ。冬に出来た厚い氷を室の中へ保存して、暑くなった今、持って来たと。北の方は、そういう利用方法も進んでいるんだね」
「氷かぁ…そりゃ欲しがるなぁ」
 七海は羨ましそうな表情で頷く。
「ところがその旅篭に来て一晩休んでいるうちに盗まれてしまった。見張りをきちんとしなかった宿に非があるのだから弁償しろ、そうでなければ氷を返せと、まぁこう言うわけだ」
「なるほど」
「動いてくれるかい?」
 三人が頷いたのを確認して、連城は蝋燭をつけ、広げた地図の上に筆を走らせる。
「彼らが泊まっていた旅篭はここ。そして氷はその旅篭の裏庭、蔵の一つに置いてあった」
「大きさは」
「人が抱えて運ぶのなら六人は必要とのことだ。重さもあるだろうけど、少しでも溶けるのを遅くするため、藁などでくるんであると言っていたから、嵩張るのだろうね」
 他にめぼしい話はないという。
「では、頼んだよ」


 欠月、と人は呼ぶ。とはいえ、知れた存在ではない。江戸の老中、団守彦の私設隠密。江戸の町人の困りごとを秘密裏に解決する目的で設けられ、北町奉行の遠山と横の協力関係を持ち、寺子屋師範の連城暁を窓口とし、技師の鬼首と、本郷、七海、紫乃がいる。連城以外の面子を知っているのは遠山奉行だけ。奉行所が動かないものや大事にしたくない揉め事などを請け負うことが多く、大きな事件――裁きを下さなければいけないもの――に発展すれば奉行所へ引き継ぐ。あくまで裏に徹し、決して知られてはいけない、もう一つの顔。


「氷かぁ、いいなぁ」
 饅頭屋の前まで来ても、七海は同じ台詞を繰り返す。
「二人にということは、急を要するのかしら」
 店を切り盛りしている紫乃は情報収集に長けているとはいえ、日中はそう出歩けない。実際に足を使うのは、町内および近隣であれば医師として知られている本郷、遠くまでとなると自由気ままに動ける七海、と自然にすみわけが行われている。普段であるなら、それも考慮して、連城はどちらかだけに指示を出す。互いが何を請け負っているか知らない方が多い。今回は稀な例だ。
「でもお前、ここのところ忙しいよな。俺だけで動こうか?」
 戸口に手をかけ、紫乃が振り返る。
「――と言って、実は氷を独り占めしたいんじゃないでしょうね?」
「あれ、厳しい。少しくらい、いいじゃん」
 盗まれたものが氷ならば、この暑さ、溶けるのにそう日にちはかからない。つまり、盗まれたもの自体がなくなってしまう。急ぐ理由はある。だが、七海の言う通り、この暑さもあるのか具合の悪くなる者も多く、さらに本郷にはもう一つ、頭を悩ませるものがあった。
「お前が中心となって動いてくれるなら助かるが」
「ならば、今日はさっさと寝ますか」
 帰るのは本郷の家だと言うのに、七海は駆け足で去って行った。紫乃は小さく笑って、おやすみなさい、と戸口へ消えた。
 空を見上げる。向こうには風があるのか、三日月は雲に隠れた。僅かな明りも消え、周囲に人の気配はない。
 ――こんな理由で訪れるのは身勝手だとは思うが――
 再度、人がいないのを確認し、杖を返して上部で地面を一度、叩く。とたんに空気が変わる。左右に並んでいた店子は消え、ただ木が生い茂るばかり。獣道すらないうっそうとした山の中。本郷は迷わず先へ進む。




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