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「いやぁ、七海さんは顔、広いからなぁ。その割に、何やってるのか誰も知らねぇんで。饅頭屋の女将や飲み屋の桜子とは古い付き合いらしいが。あと、隣町の団子屋の。この辺りにも屋台を出している、あの子ともよく話をしてるよ。鳴沢の若旦那とも遊んでるし、そこの番太郎とも。先生の家に上がりこんで。だから、七海さんの家は、寝るだけのもんだよ。一日あそこにいた例がねぇんだから。それに、ここ半年ぐらい、寝るのも先生のところが多くなった。言い換えれば、あそこの家は、ほとんど無人でさぁ。何で家賃を払ってるのかって思うぐらいにな」


「で」
「何だ」
「気づいているんだろ?」
 日はとっぷりと暮れ、行きかう人も徐々に少なくなる。二人の足音はそう大きくない。本郷のつく杖の音が、時折、石に当たって響くだけ。

 橋の上に出た。月は薄雲に隠れ、しかし路は明るい。ぴたりと足を止めると同時に、背後に湧き上がる気配。

「懸念は」
「診療所へ戻るまでは、付けられてはいない。診療所を出てからは、知り合いには会っていない」
「診療所は」
「金太郎とすみれがいる。ならば、裏長屋も含めて大丈夫だろう」
「あぁ、それで放っておいたわけね。ま、どのみちあの二人の喧嘩は長いしな」
 血筋だし、自分の身ぐらい守れる。その言葉が合図であったように、本郷と七海は、身を翻す。


 橋の中心から対に、二組の影。
「あれが、例の黒い着物の男と」
「唐人」
 白い衣装を身に着け、顔の半分を仮面で覆っている。半年前はそこに傷があった。恵の人相書きとは、全てが一致している。
「何の用だ?」
 七海が声をかける。
「貴殿に用はありません」
 返ってきたのは黒い着物の男の声。犬塚、と言ったか。
「用があるのは、隣の」
「悪いが、俺もお前に用はない」
 答えれば、犬塚は、微かに笑い頷いた。面白くて笑ったのではなさそうだ。
「存じてます。貴殿が探していたのは、この男」
「そっちの唐人は、本郷をおびき出す餌ってわけか」
「私は、お前に用がある」
 唐人が口を開く。予想外の言葉に、本郷は眉をひそめた。何故、七海に用が。
 ――二日前。
 脳裏にそれが掠めた。瓦版の事件。唐人が現れた時分とも一致する。犬塚は構わず続ける。
「別にどうという話ではありません。貴殿が四日前、我々から奪ったものを返していただきたい」
 ――四日前。
 七海は、視線を隣へ移動させる。自分が見失った後、何があった。本郷の表情は変わらない。
「――何のことだ」
 ぞくり。背筋を伝う冷たい汗。その言葉ではない。微かに耳が捉えた、直前の。なるほど、と言った。その言葉は氷のように冷たく、刀のように鋭い。地獄耳の自分は誤魔化せない。それを知らない奴ではないはずだ。
「おい、本郷」
 無茶をしないように、と冗談半分で付いてきたが。
「今回は、助太刀してやる」
「頼んではいない」
 苗字帯刀の制限は、名ばかりの今日。本郷も七海も、脇差を差している。犬塚は武士と同じく二本の刀。唐人はそれらしきものを持ってはいないが、大概、唐人というのは何かしら隠し持っているものだ。だとすれば、いくら本郷でも二人同時に相手をするのは、厳しい。
 犬塚の狙いは、本郷。本郷の狙いは、唐人。唐人の狙いは、七海。さて、どうする。

 悩む必要はなかった。

 唐人が動く。速い。狙いは、当然自分。しかし、間に。
「本郷!」
 足の怪我が嘘のような動き。唐人が放った鎖が、杖に絡み取られる。
「しかたねぇな!」
 七海は、続いて向かってきた犬塚の正面に回りこんだ。袂から掌ぐらいの玉を取り出す。犬塚は一目で、何かを悟ったようだ。地面に打ち付けた玉が煙を吐くのとほぼ同時、大きく横に跳ぶ。追うのが遅れれば隙が出来るのは自分。続いて橋の手すりを越えて、浅瀬の川へ着地する。
「仲間か」
「まさか」
 犬塚の問いを笑い飛ばす。
「ならば何故、邪魔をする」
「決まってるじゃねぇか」
 柄に手をかける。
「あいつの飯が喰えなくなるのは、困るからな」


 杖に傷ひとつ付けることなく、鎖はするりと抜ける。本来の「絡まる」という仕事を忘れたようだ。否、それができなくなっただけのこと。落ちた鎖は、もはやただの鉄の破片。唐人の関心は、それよりも本郷の手に。
「妖刀」
 赤色に淡く染まった刀身。月明かりと自身が発する光で、それはまるで――。
「初めて見る」
 すぅ、と、片側しか伺えぬ目を細めた。
「操られることなく、自分の意思でそれを手にする者は」


「抜かぬのか」
「俺、剣術はさっぱりなんだ」
 居合いの構え。しかし、隙がある。口調はどこまでも軽く、端からやりあう気はなさそうだ。犬塚は、軽く眉をひそめる。
「時間稼ぎのつもりか」
「いんや」
 刀から手を離し、腕を組む。抜刀している相手に対しては、無防備すぎる。よほどの自信か単なる馬鹿か。
「俺は知りたいんだ」
 雲が晴れる。

「あいつ、何をやったんだ?」


「関係のないことだ」
 本郷の問いに、唐人はそう答えた。
「関係ないかどうかは、こちらで判断する」
 何も答えないでいる唐人に、別の質問をする。
「犬塚が俺を探しているといったな。そこでお前が出てきた。それは何故だ」
「分からぬか」
 分かってはいる。身の丈六尺以上。それでいてなおかつ片足を引き摺っている者など、そう多くはない。犬塚達は先日の件と半年前の件で、同一人物であると見当はつけた。噂か何かで、その男は片足が不自由になった原因の唐人を探していると知ったのだろう。町中を徘徊すれば、向こうから見つけるに違いないと。そう、七海の言った通り、唐人は「餌」だったのだ。あの仮面は傷を隠すため。余計に目立つとも思うが、直接傷を見せないことで、同心達からは隠れることも可能。『執念深く』探してくる人間がいれば、それが目的の相手だと。
 だが、何故その唐人は、七海を探しているのか。二日前に何かあったかのか。
 唐人は、まるで吸い込まれたように刀しか見ていない。
「その刀、どこで手に入れた」
「答えるつもりはない」
「ならば奪うまで」
 武器商人か、ただの収集家か。だが。構えを正す。
「奪えるものではない」
「試してみるか」
 袂から取り出したのは鉄砲。あの時と同じものかは分からない。むろん、試す気など、殊更ない。


 その音は、つい先日耳にした。思わず欄干に顔を向ける。即座に水の撥ねる音。犬塚の刀が銀の弧を描く。前髪が数本、風に流れた。
「隙を作るにも、程がある」
「さぁて」
 後ろへ大きく跳び、着地した七海の手には。
「…独楽?」
「俺、独楽回しにかけちゃぁ、この界隈で負ける気はないね」
 馬鹿にされたと思ったのだろう。
「遊んでいる暇は、ない」
 かちゃり、と刀を返す音。間合いは上々。というのを狙われている人間が思うのもおかしいが。
「なら」
 空に放り投げた独楽。それは確実に犬塚を狙っている。距離は余裕でよけられるほど。
 ――普通の独楽ならば。
 ぼぅっ!
 刹那。青白い炎を上げた独楽は、勢いも手伝って、数倍の大きさになった。間合いを乱すには十分。犬塚は対岸まで退いた。
「燐か!」
「へぇ、よく知ってるじゃねぇか!」
 紐を引く瞬間に振りかけた薬。空気に触れると青い炎を吹き出すそれを知っている人間が他にいようとは。独楽は川に落ち、火は消えた。
 頭上では足音が響く。足の怪我は芝居だったのかは分からないが、二組。とりあえず、安心してもよさそうだ。


 視界の端で、青白い炎が上がった。顔を向けたのは唐人。一気に間合いを詰める。銃口を向けたが、退いた方がよいと判断したのだろう。しかし、淡い色が空気を薙ぐ。
 からん、と音を立て、二つに割れた仮面が地に跳ねた。
 顔にはあの時と同じ傷。唐人は、慌てて片手でその傷を隠し、退くぞ、と声を上げた。
「待て!」
 踏み出した一歩は、唐人が手に持っているものを認め、止まった。花火に似たそれは、夜空にではなく、地に炎を咲かせる。
 軽く舌打ちをして、欄干に手をかける。


 その声に、犬塚は躊躇いもなく刀を納めた。この距離では、何も出来ないと見てのことだろう。
「この勝負、預ける」
「冗談じゃねぇ」
 七海は懐に手を入れたまま、相手をにらみつけた。
「俺、気障な男は嫌いなんだ」
 先ほどまで、そういう言葉に顔をしかめていた男は、ふっと笑い、一気に土手を上がった。直後、影が降ってきた。
「本郷!」
 どうしたと問う前に、本郷は手を伸ばして七海を突き飛ばした。
 揺らぐ視界に、赤い橋――赤?
 すぐに熱が襲ってくる。風がないのが、幸いだ。火付けは重罪。さすがにお上もやっきになってあの二人を探すだろう。
「逃げるぞ」
「あ?」
「今、ここにいて火消しに見つかってでもみろ」
「え?俺らが罪人?冗談じゃねぇ」
 燐を持っていた七海が言う台詞でもない。騒がしくなり始めた通りとは逆の方へ、二人は身を隠した。


 いつもより時間をかけて戻った診療所には、金太郎が一人で座っていた。
「…その痣」
 七海が指を差したのは、右目に出来た痣。
「すみれにやられたのかよ?情けねぇ」
「不可抗力ですよ!それよか、七海さん、何でそんなにずぶ濡れなんですか?」
「いや、お前の言っていた湯屋にちょっと」
「着物のままで?」
「いい女がいて、脱ぐのも面倒で」
 この男の思考というか、湯水のように出てくる言葉は、どこから生まれてくるのか。本郷はいつもの通り無視を決め込むことにした。
「…客があったようだな」
「えぇ。とびきりのがね」
 ぐるりと見渡せば、土間辺りが荒らされている。むしろ、壊されている、といった方が正しい。二人の喧嘩にしては穏やかではない。
「あの女が来たんでさぁ。やっぱ、只者じゃなかったっすよ?匕首なんぞ持っていて、いきなり襲い掛かってきて」
「よく勝てたな」
 女に手をあげることなど、出来るはずもないのに。
「いや、どうしようか躊躇したら、すみれが」
 戸口に出来た三つの亀裂は、彼女の手裏剣か。金太郎と同じく、隠密としての修行を重ねてきた彼女が得意とするものだ。
「へぇ、すみれがねぇ」
 正義感は強いほうであるが、むしろ金太郎を守るためかしら、と七海は余計な事に思いをめぐらす。明日、究に教えて真相を聞かせに行くのも面白いかもしれない。そんな胸中は露知らず、金太郎は続ける。
「何か、女の事を勘違いしたまま」
「勘違い?」
「お前の浮気相手だと思ったんだろう」
「浮気相手が匕首持って襲ってくるなんて野暮の骨頂だよ。何で襲ってきたんだよ?」
「さぁ?何か、物を返せとかそんな事言っていましたけど、すみれの剣幕が凄くて退散しましたよ」
「ついでにお前は殴られたわけね」
 金太郎は大儀そうに頷いた。
「ほんと、やってらんねぇ。で、いちおー、先生達が帰ってくるまで留守番してたんですけど」
「そうか。ご苦労だったな。もう帰っていいぞ」
「いやあのその…」
「お前、それ、酷すぎる」





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