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 頬に触れる暖かい手。袖まで広がる桜文様は流れ空に舞う。ひらひらと、意思があるかの如く。その白い腕には。
「怪我を?」
「少し」
「ならば明日にでも薬を」
「明日は」
 ついと向けた視線を追えば、闇に浮かぶ白月。
「あぁ、そうだな」
 そう、明日は満月。



「あら。二人揃ってなんて珍しい」
「そうか?一昨日あたりも来ただろ?」
「それは先生の後をあなたが付いてきただけでしょう?」
 橋の近くに店を構える饅頭屋。いつの頃からか掛茶屋も兼ねるようになり、味も然ることながら、川べりに植えられた色とりどりの四季の花も相まって、人が絶えなくなった。本郷はあえて、店の奥へひとつ設けられた縁台に腰を下す。紫乃が饅頭を二つ、茶を三つ、持ってきた。本来は、店の者の休憩場。饅頭や花が目的ではない、なじみの本郷だからこその特例だ。紫乃は七海に手渡そうとした饅頭を、寸でのところで引っ込め、代わりに一枚の紙切れを掌に載せた。
「つけが随分と溜まっているわ」
「じゃぁ、今日のは本郷につけといて」
 いけしゃあしゃあと言い放ち、ひょいと掠め取った饅頭を頬張る七海に、払う気があるのかしらと、紫乃も隣に座る。
「そういえば、噂は聞いた?唐人の」
「お前も見たのか」
「えぇ。珍しい白い服を着ていたわ。しかも隣にいたのがまた怪しくて」
「黒い着物に二本の刀、編み笠を目深に被った男」
「あら。先生達も会ったの?」
「黒い着物のほうには」
「俺は聞いただけ。昨日会ったのといえば納豆少年」
「納豆少年?」
「俺の納豆食って去っていった」
 あらゆる人間が出入りするこの場所は、あらゆる話が飛び交う。それらの情報を、女将である紫乃は余すとこなく耳に入れている。真偽を見極める能には、驚くばかりだ。そしてそれが本郷の目的でもある。昨日の出来事の概要を話して聞かせた。
「怪しい二人組と、少なくともそのうち黒い着物の男を知っている少年。身なりは良かったのでしょう?」
「あぁ。かなり、上物の着物だった。やつれた風もなく」
「やつれてんのは俺のほう」
「悩んではいたようだが」
 七海の茶々を無視して、本郷は茶をすする。
「父親が病とあれば」
「でも納豆食う元気はある」
「そんなに納豆が欲しいのなら買ってきなさい」
 ぴしゃりと姉のように叱って、紫乃も湯飲みに口をつける。
「さぼっていていいの?」
「休憩も取らずに働けと?」
 一息入れて、紫乃は少し声を落とした。
「その唐人」
「黒い着物の男といた?」
「そう。ここのところ、目撃者が多いわ」
 饅頭を手に、視線は真っ直ぐ、両者の顔。
「顔に、傷があったそうよ」
 唯一の、手がかり。


「昨日から、江戸の至る所で目撃されてるな」
「その前に、お前、一体どこでどのくらい、付けで飲み食いしているんだ」
 結局、七海のつけを払わされた本郷は――紫乃が食べた饅頭の分まで払わされた気がしたが――軽くなった財布を懐に仕舞いながらぼやく。心なしか突く杖が重い。
「唐人と黒い着物の男」
「人の話を聞け」
「お前の敵討ちを手伝ってやる駄賃にでもしとけ」
「頼んではいない」
「黒い着物の男は、納豆少年を探している。その少年は父親の容態が悪くなり、身なりの割に飯も食わずに二日間。つか、二日何も食べないだけで倒れるなんざ贅沢だよな。俺ぁ、八日間水だけで過ごしたこともあるってのに」
 この男は時に聞き耳を潰す。本郷は軽くため息をつき、時機を見て催促しようと、この話は打ち切った。それを察したか、七海は満足げに続ける。
「黒い着物の男が唐人の仲間なら、そいつを当たれば唐人に行き着くかもな」
「今、滞在している場所は分かる」
「じゃぁ、その曰く有りげな納豆少年も」
「天草」
「それだと、まんま、隠れ切支丹だろ。坊主の耳にでも入ってみろ。めんどくさくていけねぇや」
「そんな事を気にする性質とは知らなかったな」
 しばらく歩き、足を止めたのは犬塚と名乗った男が教えた旅籠。打ち水をしていた女中に七海は、邦子、と声をかける。知り合いらしく、話は簡単に進んだ。唐人共々、二日前からの滞在。ただし、今は出ている、日が沈む前には戻る、という答え。
「唐人のお客様ですか?えぇと、傷は分かりませんけど。でも、面をかぶっていて」
「面?」
「そうです。大陸から持ってきたものじゃないかと思うんですけど…ちょうど顔を半分隠すように」
「濃い千草色の髪の少年を見たことは」
「はい、一緒に」
「一緒に?」
 怪訝に思い確認すると、邦子は力強く頷いた。昨日の状況では、天草という少年は、あの男に追われているものと思っていたが。
「四人でいらっしゃいました。ただ、他のところにも使用人が。急な話でしたので、部屋がご用意できなくて」
「一人、伏せておられる方が」
「はい。ここに来る前から」
「どこから来たかは」
「京の方からと」
「病人を診せてもらえないだろうか」
「こいつ、こう見えても医者だから」
 いつもなら、この余計な口ぞえが功を奏したりもするが、邦子は申し訳なさそうに首を振った。
「あの、それは、断りを入れろと…」
「誰が?」
「あの唐人の方は医者だとかで」


「医者?いえ、いませんでしたよ。三つ先の町までいかないと。八丁堀には余るほどいると聞きますけど、会いたくない人間の方が多いですしね。蘭方も漢方も学んでおられて。ただ、仕事をする気があるのかないのか、いない時も多いですよ。そう、小僧も何も雇わないで、一人で何から何まで。え?あの杖?五尺ぐらいあるんですよ。錫杖みたいでしょう?そう、あの怪我で。どこで手に入れたか?さぁ。先生は大層気に入っているようですけど」


「医者、ねぇ。治療中か。でもそうすると、その少年が何故、本郷のところへ来たんだか」
 団子屋へ向かう途中、人だかりが出来ていた。
「何だ?」
 軽く背伸びをして確認すれば、瓦版屋の究がなにやら声を上げていた。まだ弟子の身分ではあるが、彼自身が瓦版読として出ているのは、よほどの事件があったのだろう。声が聞こえないくらいに、人の波が凄い。だが、内容はその波が伝えてきた。
「死人が」
「昨日の暮れ時」
「そこの川で」
 川。隣を見れば七海は関心なさそうに。
「究」
 声は届いていないと思うが、振り返った究と目が合う。知った間柄、後でお持ちします、と返ってきた。


 団子屋は出ていなかった。もともと、東隣の町の店が、一日置きぐらいに屋台を出しているのだ。本店が忙しければ、出ないこともしばしば。それでも広い通り、見知った顔はいくらでもいた。
「お、若旦那」
 七海がからかい気味に声をかけたのは、まだ十になったばかりの子供。江戸有数の商人、鳴沢の末子。名は数馬。
「若旦那、というのなら、いいかげん金を返して欲しいんですけどね」
「お前…子供にまで借金しているのか」
「んな訳、ないだろ!親父からだよ」
 その大声に、反応があったのは瀬戸物屋の軒先。品物を手にしていた女が振り返る。
「いいところに!」
 髪の毛を肩で切りそろえ、鋭い声と共に、意志の強い目を持った娘。
「この前の飲み代、払ってください!」
「あれ?桜子のおごりじゃぁなかったっけ?」
 へらっと笑っても彼女相手に通じるわけはなく、本郷と数馬を軸として、いつもの目が回りそうな捕物が始まった。
「七海さんって、ちゃんと働いてんですか?」
 それを冷めた目で眺め、数馬は尋ねる。
「さぁな」
「さあって…先生、一緒に暮らしてるんでしょ?」
「勝手に飯を食いに来ているだけだ。それよりも」
 若旦那と七海が称した通り、商いの才に恵まれている数馬は、既に店をひとつ、父親から任されている。ただ、やはりまだ子供。よく店を抜けては友人と遊んでいた。
「昨日、七海と川にいただろう」
「いましたよ。あと、敦も」
「いつ頃、家に戻った?」
「日が暮れる前」
「皆?」
「一匹も釣れなかったので、七海さんは粘ってましたよ」
「そうか」
「何かあったんですか?」
「瓦版を読めば、はっきりするんだが」
「あら、まだご存じないんですか?」
 会話を聞いて、ぴたりと足を止めたのは桜子。七海はそのまま逃げ仰せ、寄るところがあるから、と通りを抜けていった。
「死人が。それも二人。昨日、川で発見されたのと、海のほうまで流れたのが。川で死んでいた男は、鉄砲で撃たれた痕が」
「鉄砲」
「もう一人はただの――と言ったら罰当たりですけど、数日前に川に落ちてそのまま、て話らしいです。ほら、あの子はいろいろ自分で考えるじゃないですか」
「あぁ、究ね」
 数馬が相打ちを打つ。
「そう。彼の考えでは、この二つの仏は何かしら関係があるんじゃないかって」
 彼の当て推量は、多く事実に結びつく。瓦版を読んで逃れられぬと思った下手人が出てきたのも一度や二度ではない。それが知れて以来、あの人気だ。瓦版を目の敵にしているお上すらも買っていると、専らの噂。
「もっとも、今の私にとって重要なのは、七海さんがいつ飲み代を払ってくれるかって事だけですけどね」
「そんなにあるのか」
「いえ。困っているわけじゃぁないですけど。でも一年、特に半年前から、例の事件で客足も鈍っていて。ここしばらく賑わっていましたけど、死人がまた出たとあればね」


「借金?あぁ、七海さんに貸したら返ってこねぇって。皆分かってることっすよ。一応、返せとか言いますけどね。飲み屋の桜子がうるさい程度で。あと饅頭屋の女将。ま、貸す方にとっちゃ、笑ってられるほどの金額でさぁ。や、言ったとおり、何やってんのかは知らねぇ。ただ、手先は器用なんだよ、これがまた。何かの職人じゃねぇかと思うんだがな。見たことねぇ道具を持ってたり。かと思えば、変に不器用で。そう、飯が炊けないって。笑っちまうでしょう?だから先生のところに入り浸ってるって、言ってやしたけど」


「おや、久しぶりだね」
「先生、いつもそう言うけど、まだ七日も経ってませんよ」
 人のはけた寺子屋。掃除屋と入れ違いにやって来た七海を、連城はそう言って迎えた。
「で、今日は」
「瓦版、読みました?」
「あぁ、そりゃね。真っ先に持ってくるから」
 懐から取り出した、一枚の紙。七海はそれを拾い読みして、返した。
「仏について。昨日のじゃぁない。この、二日か三日前ってやつの。先生、何か知らないですか?」
「おいおい、これを読んでさっきまで子供の相手をしていたんだ。君のほうが、情報は仕入れているんじゃないか?」
「いや、とんと」
「しばらくしたら、何か入ってくると思うけど」
 じゃぁ、また来ます。そう言って立ち上がったが、軽く首をかしげた。
「ただ、二日前は大風、三日前は大雨。そんな時に川に行きゃぁ、河童か俺でもない限り、流されるだろうに」
 そう言った七海に、連城の口調が少し変わる。
「行かざるを得なかったか」
「何のため」
「さぁね。君のと関係あることかな」
「恐らくはない。でも」
 三日前。あの雨の中。ふらりと出て行った影。追えばよかったか。いや、追ったのだ。

 見失った。片足を引き摺っている輩を相手に。


 東隣の町へ足を延ばす。団子屋はちょうど人が切れ、恵が通りに出てきたところだった。
「休憩中をすまないが」
「唐人の話ですか?七海さんから」
「そう」
「少し、待ってください」
 一旦、店の奥に引っ込み、現れた手には紙と筆。迷うことなく線を描く。彼女の人相書きは、生き写しのようだと評判だ。団子屋の手伝いなんぞしなくても、絵の道でも食っていけるだろうに、と惜しむ声が多い。
「はい、どうぞ」
 渡されたのは。
「半年前の?」
「あぁ」
 顔の半分は面で隠れているが、忘れたことはなかった顔。しかし、何故、今になって現れたのか。


「昨日のは、鉄砲で撃たれて川っぺりに。もうひとつのは、川で溺れて、海まで出て浜辺に打ち上げられて。ただ、単に川に落ちたとは思えないんですよ。ひとつ、なにやら打撲の跡がある。それがどうも生きてる時の。もっともこんな暑さの水の中、腐乱もすごかったですけどね。もうひとつ、その男が三日前の昼に怪しげな女と会ってるのを、見たのがいるんですよ。でね、昨日の死体は」
「究」
 入ってくるなり有無を言わせず事件を語り始めた究を、母親である瑞枝が止めた。
「そんな事、先生に説明しなくても瓦版に書いてあるでしょう?早く帰ってらっしゃい」
「…はーい」
 究は不満げに、返事をする。わざわざ話して聞かせるのは、本郷が何かしら情報を得ているのではと勘ぐっているからだ。しかし、そんな事は露知らずの母親は、仕事の邪魔になるからと腕を掴む。
「あ、先生」
「究!」
「昨日の男も、女と会っている所を目撃されているんですよ…いたたたたたた!」
 昨日の事件もここまで調べ上げ、記事にしている。恐らく寝てはいまい。つまり、彼にとってそれだけ気を引く事件なのだろう。耳を引っ張られて連れて行かれる究を見送って、本郷は紙面に目を通す。ただ女と会っている、というのであれば気にとめるものでもあるまい。だが、書いてある通り、同一人物だとすれば、いささか不審だ。
 それよりも不審なのは。
「ただいまぁ。飯、出来てる?」
 この男が、鉄砲の音に気づかぬことなど、あるだろうか。








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