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 月の出ない夜。道は闇に隠れ、見えなくなる。だが、満ちた月が出れば。
「光に隠れ、見えなくなる」
 その先には、ただただ眩い大地が広がるのみ。



「おや、久しぶりだね」
「つい五日ほど前にもお会いしましたが」
 朝餉を済ませ、まだ人が少ない通りを足早に、やって来たのは寺子屋。
「支度前に申し訳ありませんが」
 瓦版を取り出して、渡した。
「この、鉄砲で撃たれた死人について」
「あぁ」
 連城は膝を折り曲げ、それを受け取る。
「昨夜遅く、金三郎さんがやって来てね」
 町奉行が連れもつけずに、平々凡々な寺子屋に現れる。それを知っているのは、ほんの僅か。本来の目的で来ている人間は、夢にも思わないだろう。
「この男、人を騙した騙さないで揉めていたそうだよ」
「この女と?」
「それはどうか分からない。関係することかい?」
「いえ。ただ、この女が同一人物であれば」
「男女共に、何処の誰かは分かっていない。ここら辺りでは見かけないと言っていた」
「目撃者は」
「金太郎。当然、馴染みだろう?」
 金三郎の息子であり、八丁堀を飛び出して大工の弟子になった男。彼の長屋は、同じ町内だ。


 本郷の診療所兼居住は、木戸を入ってすぐ左にあり、隣の紙問屋との間に、裏長屋へ続く木戸がある。そこから出てきた七海と鉢合わせた。
「本郷、朝餉は?」
「当に済ませた」
「じゃなくて、俺の分」
「食べたいなら、それ相応の時間に来い」
 今日も朝飯抜きだよ、とこぼしながら、七海は自分の家へ戻るかのように診療所の戸をくぐる。
 診療所では瑞枝が本を広げていた。通詞を生業に出来る程に蘭語を得意とする彼女は、しばしば診療所の奥に積まれている本に、目を通しにやってくる。確かに、蘭語で書かれている書物など、医学書ぐらいのものだ。
「先生。一昨日の少年が」
 土間にきちんと並べられた草履。
「診療所にあげておきましたけど。通りを眺めたいからと二階に」
 七海は、ぐるりと見渡し、肩をすくめた。
「お前のところ、相変わらず無用心だな」
「別に取られるものもない。第一、用心しているなら、お前なんぞ叩き出している」
「へぇへぇ。そりゃぁ、どうも」
 階段を上がると、窓から少し離れた場所に座り、外を眺めている流が目に入る。杖の音に、初めて気がついたように振り返った。
「あ…すみません、勝手にお邪魔して」
 続けて上がってきた七海は、あぁ、納豆の、と指を差した。
「納豆…?」
「納豆少年」
「どなたですか、この人は」
 憮然とした流の気持ちはよく分かる。初対面で納豆少年呼ばわりされれば、誰でも良い顔はするまい。軽く睨みつけても、そ知らぬ顔。
「ただの食客だ」
「あのさ、もーちょっとなんかないの、お前」
「自分の家に戻ってろ」
「嫌」
 どかりと腰をおろした七海を一瞥、場所を変えるかの言葉に、流は首を横に振った。
「昨日、旅籠のほうへお見えになられたとか」
「あぁ」
「病人を診せてくれって言ったら、邦子に断られたけど」
「えぇ、教えていただきました。申し訳ありません」
 軽く頭を下げる。
「一昨日の様子では、あの男に追われているようだったが」
「追われている、というよりは見張られていると言ったほうが正しいかもしれません」
「…なんだよ、それ」
「僕も良く知らないのです。お祖父さまの文を持って迎えに来たので…」
「迎え?」
「えぇ。お祖父さまが江戸城に」
 げ。蛙のような声を出して、七海は居住まいを正す。
「しかし、昨日の女中は、京の方から来たと」
「はい。祖父母が亡くなったのは、随分と前なのですが。今まで、お祖父さまが江戸にいると知らなかったのです」
「……?」
 どういう意味だ、という二人の視線を受けて、流は、慌てて付け加えた。
「あ、ええと、江戸にいるお祖父さまというのは、曽祖父の妾の…」
「正室の子が京にいて、妾の子が江戸城。江戸の身分制度もゆるくなったな」
 七海の野次は無視して、父君の容態は、と本郷は尋ねた。
「はい。四日前から突然寝たきりに。と言っても、意識はあるようなのです。反応がなく」
「一切の活動をしなくなったと」
「そうです。ですから、病か、物の怪か」
「それだけではないだろう」
 指摘に、流の表情が少し強張る。
「旅籠にいながら、腹を空かせていた理由にはならんな」
「えぇ…その…」
「阿片か」
 臆すことなく言った本郷に、流は言葉を失い、七海は足のしびれも手伝って、ごろん、と転がった。
「あ、あへんて、お前」
「あの、これは」
「盛られたのなら、罪にはならん」
 今度は安堵。くるくると変わる流の表情に七海は興味をそそられた。究と同い年ぐらい。あちらには失礼だが、品がある。
「食事に盛られたと思ったのです。ですから」
「黒い着物の男か唐人に?」
「はい」
「何か、根拠でも?」
「いえ…ただ、父と常にいたのは、あの二人ですので」
 一年半前から界隈に出回り始めた阿片。それから一年、『曰くつき』の患者の大半は、中毒よる意識混濁。大騒ぎにならなかったのは、多くの人間が『物の怪の仕業』と騒ぐだけだったからだ。診せるのは医者ではなく坊主。取り憑き長者、などと呼ばれるようになるくらい金儲けに走る輩も多かった。おそらく、その話は国中に広がったはず。怪しい二人組と相まって、見たところ聡明な少年には、そう思えたのかもしれない。ただ、この半年程は、それも随分と減ったに見えたが。
「その唐人は医者に診せるなと。確かに、怪しいな」
 七海は、肩肘突いて寝転んだまま、どうすると本郷に問いかけた。
「依頼なら」
「お願いします」
 流は軽く頭を下げ、それと、と言いにくそうに続けた。
「この辺りにどこか、身を隠すのに適している場所はないでしょうか」
「あの男から隠れるつもりか?」
 七海の言葉に、流は頷いた。事情の程は分からないが、いたって真面目な話らしい。本郷の診療所は町木戸のすぐ隣。故に、木戸番所も自身番屋もあるが、あそこは町人の情報の場でもある。診療所も例外ではなく、二階であれば限られた者しか上がらないだろうが、いかんせん通りに面している。七海の言う通り、『無用心』でもある。そうなると――二人は顔を見合わせた。
「いいところがあるぜ。納豆が必ず食べられる」


「まぁまぁ。それは大変ね。いいわよ、家でよければ」
 本を閉じて大まかな話を聞いた瑞枝は一も二もなく承諾した。
「もっとも、未だにいびきかいているのが一人いるけれど、構わないかしら」
「まだ寝てるの?俺が起きてるのに」
「そうなのよ。一日、事件を追うか瓦版を書くか寝ているか、ですもの。もうちょっとお天道様に合わせた生活、できないのかしらねぇ」
「ごもっとも」
 大きく頷く七海に、言える立場かと心の中で毒づいて、本郷はお願いします、と診療所を出た。読書の傍ら、留守を預かる瑞枝は、いつものように戸口まで見送る。
「あ、俺も」
 納豆屋が来たらよろしく、と付け加えて、七海も続く。


「何で付いて来るんだ」
「お前が無茶しないように」
「言っておくが、今日は何も奢らん」
「何言ってんの。邦子と知り合いの俺がいたほうが、何かと便利だろ」
 その代償に何をねだるつもりだ。胡乱気な視線に気が付いたのか、まるで赤子のような笑みを浮かべて指を差したのは。
「…独楽?」
 木戸番の小屋に並べられた、小さな独楽。
「このくらいのが欲しかったんだよなぁ」
 奥から右近が顔を出した。番太郎というより、この駄菓子屋がやりたくて、ここにいるようなものだ。
「へぇ、先生、独楽遊びなんてするんですか?」
「いや」
「俺」
「あぁ、それなら納得」
「俺、そんなに子供に見える?」
「そりゃぁもう」
「十分、一人前のつもりなんだけどなぁ」
 器用に縄を巻きつけ、勢いよく引く。宙を舞い七海の手の上で回り続ける独楽に、子供達が集まり歓声を上げた。
「先生、お代は帰ってからで」
 付き合いきれん、と歩みを進めた本郷の背に、右近は当然のように声をかけた。


「診療?往診が主ですけどね、あの怪我で。いえ、今でもやっておりますよ。ただ、患者が診療所に来る方が多くなって。それでも、先生がいない事の方が多いんです。小僧も雇っていないので、見つけるのがいつも一苦労でねぇ。でも…その裏長屋のね。七海さんと、瑞枝さん親子。それに、木戸番の、大家の息子なんですけどね。隣だから、よく休憩しに来ますよ。あと、その番太郎の昔なじみ。二、三、向こうの長屋ですけど。そう、だから先生が留守でも、誰かしらいるんですよ、あそこは。先生以外がいる、と言ったほうが正しいですかね」


 昨日と同じく水撒きをしていた邦子は、天草流の名を出すと、すんなりと案内してくれた。つまり、本郷が独楽代を払う必要はなくなった。
 男は一番上等の部屋で眠っていた。頬を軽く叩く。確かに、反応はない。
「ここにいらっしゃった時には、すでにこうでした」
「あの少年は、起きてはいる、と言っていたが」
「私もずうっと見ていたわけじゃありませんので…」
 脈を診て、持参した小さな木箱からなにやら取り出す間、七海は黒い着物の男と唐人の行き先を聞いていた。
「今日も朝から出かけていて」
「城に用があるんじゃねぇの?何だっていつまでもここにいるんだろ」
「さぁ…でも昨晩は大層機嫌が良かったように見えました」
「機嫌?」
「えぇ。お二人が訪ねてきた事をお話したんです」
「野郎に喜ばれたって嬉かないよなぁ、本郷」
「少し黙れ」
「お前の診断を待ってんだよ。予想は当たっていたか?」
「いや。少なくとも」
 阿片ではない。その言葉は口にはしなかった。あまり、他人に聞かせる話ではない。他に二、三、調べて宿を後にした。
「で?」
「多少、薬は盛られているかもしれないが、それが直接の原因ではなさそうだ」
 ふぅん、と七海は生返事をする。先の会話の時から妙な違和感がある。医者なのだから薬に詳しいのは当然かもしれないが、果たして普通の町医者でそんな知識はつくだろうか。何かの意図で、その方面に詳しい必要があるのではないか。
「どうした」
「いや。やっぱり、物の怪が憑いたかと思って」
「有り得ん」
「あぁ、お前はそういうの、信じないもんな」
「物の怪は、人には憑かん。あれは、読んで字の如く、物が化けたもの」
「は?」
 予想だにしない台詞に、七海は目をぱちくりとして立ち止まった。
「人に憑くのは、人だけだ」
「おーい?」
 目の前で手をひらひらさせても、歩く速度は変わらない。そして、家に戻るまで、本郷は口を利かなかった。


「人に憑くのは人って?」
 診療所に戻って、すぐさま本を取り出した本郷に、七海は痺れを切らせて尋ねた。
「この国ではあまり馴染みがないがな」
 見ていたのは、蘭語で書かれた書物。うへぇ、と目をそらす。
「この阿蘭陀を初め、西洋では、催眠術、というものが幾度か流行ったことがある」
「何だよそれ。病の一種か?」
「日本でも、太古の昔から『呪い』というものはあっただろう。あれに近い」
「ありゃぁ、物の怪の仕業じゃねぇのか?」
「人間だ。人が、人の心を操ろうというもの。いくらばかりか薬の力を借りることもある」
「でも、狂ってるようには見えなかったぜ?」
「呪いではないからな。自分の意のままに操ろうと言うのが、催眠術だ」
「人間に、そんなことが可能か?俺ぁ、絶対、物の怪だと思うね」
 腕を組んで、何を自慢するのか、ふんぞり返って七海は言う。
「俺が餓鬼の頃、神隠しが頻繁に起こったし」
 神隠し、という言葉に本郷の動きが一瞬止まったかに見えた。
「あれは」
「何だ?」
「――いや」
「お前、いつもいつも、途中でやめるなよ」
「先生!」
 立てかけてあった雨戸を倒して、人が入ってきた。この診療所の入口の天敵は、七海以外にも数名いる。茶でも入れてくる、と階段に足をかけた七海が振り返った。
「あれ?すみれじゃん。どうしたの?」
「金太、見ませんでした?」
「金太郎?いや」
 珍しく、本郷が関心を示す。
「何か、あったのか?」
「いえ、その、別に…。なんでもないです。すみませんでした」
 ぺこりと頭を下げて、雨戸はそのままに、すみれは走り去っていた。
「…あいつも女泣かせだな」
 彼女の表情から、背景を読み取った七海は、一人合点、再び二階に上がろうとする。
「先生!!」
 噂の主が転げるようにやってきた。倒された雨戸が何やら耳障りな音を立てたが、本人はそんな事に気を回す余裕もないようだ。
「ちょっと、匿ってください!」
 下駄を散らかし、二階へ向かおうとする矢先。杖を握っていた手が空を掴むのと、金太郎がつんのめるのはほぼ同時。彼はそのまま二転三転盛大に転がった。あわや書物の山に追突する寸前で止まる。
「って〜〜〜〜〜っ!!」
 脛を押さえて、なおも転げている金太郎に、七海は前方不注意、と笑いかけた。杖は元の、本郷の手に。この男、巾着切りでもやっていたのではあるまいか、と思える手さばきだ。
「前方不注意って!七海さんが杖で引っ掛けるから!」
「あれぇ?俺、何かした?杖を持ってるのは本郷だしぃ」
「俺の目を誤魔化そうたって、そうは問屋が」
「その目のことで聞きたいんだがな」
 二人のやりとりを待っていたら日が暮れると判断した本郷は、間に入って少し声を落とした。
「昨日の瓦版。二人目の死人と話している女を見たな」
「え?あぁ、見ましたよ。うん、覚えてる」
「お前、目はいいんだけど、記憶はなぁ」
 茶化す七海を、きっと睨みつけ、金太郎は胸を張って断言した。
「俺ぁ、べっぴんの女は忘れねぇっすよ!」
「また、すみれに怒られるぞ」
「既に、なんですけど。昨日の朝に究がきて、女の事を話してから。何で怒ってんのか、さっぱり分かんねぇ」
「いやいや、昔なじみてのは難しいねぇ、本ごっ」
 振り向きざま、杖を顔面に打ち付けられた七海は、額を押さえてうずくまった。
「それで、だ」
「先生、何か、目、据わってません?」
「お前が見た女について、知りたいんだが」
「知りたいって言っても…究に話したのが全てで」
「この記述は確かか」
「間違いねぇっす。こう、胸元のこの辺に、変な痣だか彫物が」
 金太郎が指差したところについて、七海が口を挟む。
「何でそんなとこのが見えるんだよ。深川にでも行ったか」
「違いますよ!湯屋で…。あの、仕事先で入ったのがたまたま」
 幕府が幾度も禁止した混浴は、未だにあちらこちらに残っている。出先で湯屋を使う金太郎は、出くわすことも多いだろう。
「…すみれの癇癪はそれだな」
 七海がぽそりと呟いて、外を確かめる。
「ということは、湯屋を出た後に、再び女を見かけたのか」
「そう。半刻も経っていなかったからよく覚えていて。何か、自分勝手な行動はどうだの、裏切っただの、男に言っていましたよ。風が強くて、よく聞き取れはしませんでしたが」
「他に」
「さぁ…」
「お前の勘では」
「あぁ。少なくとも、普通の町人じゃぁ、ねぇっすよ。体つきが…いやあの、そういう意味じゃなくて…そう、鍛えてるというか。何か武道やってますよ、あれは。や、体つきはいたって女ぽくて」
「誰の何がどうですって?」
「げっ」
 戻ってきたすみれに、よりによっての話を聞かれ、診療所はにわかに騒々しくなった。
「あれ?本郷、お出かけ?」
 下駄をつっかけ、七海も外へ出る。
「あの二人、あのままでいいのか?」
「放っておけ」







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