空は赤い。七海は手すりにもたれる。隣には片桐。会話にタイトルをつけるとしたら、七海の七海による七海の為の本郷悪口大会、とでもなるのだろう。
「大体さ、アイツ、子供は苦手だったはずなのに」
「慕ってくれるなら邪険にはしないでしょう」
「オレ、邪険にされてるよ?」
「あら。優しくして欲しいの?」
「いや、全然。予想通りの反応貰ってるけど」
「なら、いいじゃない」
いいのか。うっかり納得しかけて、七海は、違う違う、と首を振る。
しばらく向こうに行こうと思う。そう言った本郷に、七海は、そうか、としか返せなかった。そもそも、人の出入りは激しい職場だ。引き止める事はできる。しかし、一番大切なのは、本人の気持ちだと、七海は思っている。それにしたって。
釈然としない七海に、片桐はいつもと変わらない穏やかな声で訊ねる。
「七海君、本郷君が子供と一緒にいるところ、見たことあるの?」
「昔。2回ぐらい。すっごくメーワクそうだった」
「人は変わるわよ。特に、身近に子供がいれば」
身近じゃないけどね。心の中で呟いた。そして訊ねる。
「あのさぁ、オレが出張命令出さなくっても、本郷はアリスに会いに行っていたと思う?」
「えぇ」
断言した片桐に、七海は疑いの目を向ける。
「やっぱ紫乃ちゃん、何か知ってるでしょ?オレ、昨日からずーっと悩んでるのに」
クスクスと片桐は笑う。
「七海君、いいこと教えてあげるわ」
「何?」
情報漏えいになるかもしれないが、七海の消沈っぷりに、片桐はあの日――4年ほど前の話を教えることにした。それは偶然、空港で本郷に会って知った事。
「本郷君ね、アリスの誕生日前後に出張となった場合、一回、日本に帰ってきてるのよ」
「どういう意味?」
「仕事のついでに誕生日を祝うというのが、嫌なんですって。だから、仕事を終わらせて一旦日本に帰って、改めて行ってるの」
七海はしばらくポカンと口をあけたままだった。そして笑い出す。
「マジで?馬鹿だなぁ、アイツ。仕事、断れよ」
「笑っていたわよ、七海君」
「話したのか」
顔をしかめた本郷に、片桐は、別に問題ないでしょう、と流す。場所は同じ。相手が、所員から呼び出された七海と入れ替わりにやって来た本郷に変わっただけ。
「――言わなくていいの?」
「自分で気がつかなければいけない」
本郷がDDCを離れようと決めたのは、アリスの来日が発端ではない。一因ではあるが、それはもっと前。探偵に、本郷の事を調べさせた時。彼が持ってきた情報は、DDC内部に協力者がいなければ手に入れられないもの。
また、昨日、今日と本郷に対するDDCの甘さも気になっていた。守衛も所員も、自分を部外者と見ていない。
やはり、自分は長く居すぎたのだ。自分が知らない人間にも認識される程に。本郷巽として。同時に、DDS一期生として。
「本郷君が戻ってくる前に、天草君が来たけれど、ランクCの制限はあったわ。NY支部とはいえ、同じDDCなのにね」
DDS一期生とQクラス。それはよく比べられる存在だった。方や長く団の側に居りながらも後継者ではない3人。方や団の後継者でありながら僅か半年間しかその教えを請うことができなかった5人。
団の後継者はQクラスであったが、誰よりも団の側にいたのは一期生だった。だから、何かあれば団の代わりを求められる。そしてその判断を盲目的に受け入れる。団がこの世を去って、慌しく駆け回るうち、そのような空気が出来上がっていた。DDCにも、DDSにも、そして警察にも。
それを壊さなければいけない。今回の本郷の決断はそれだ。
「本郷君がいなくなることで、七海君の負担は、重くなるかしら」
「別に俺がいなくとも平気だろう。この1年、何とかなった。それに、音信不通になるわけでもない」
「喧嘩をしたければ電話を掛ければいいだけって事ね」
何だそれは。本郷はそう言いたげであったが、片桐は笑って誤魔化す。今の――過去を考えても――七海がおおっぴらに喧嘩できる相手は、本郷だけなのだ。そして、それが七海にとっては助けになっているのだと、片桐は思っている。
「ねぇ、本郷君。教えてくれないかしら」
「何を」
「アリスの父親になろうと思ったきっかけは何だったの?」
明らかに本郷は避けたい内容だったらしい。ジェーンからは、アリスが生まれる前から父親になってくれと言われていたようだが、本郷の気持ちを聞いた事はなかった。
「――お前らしくない質問だな」
「あら。いいじゃない、このくらい。これから、七海君の我侭に付き合うのは、私1人になるのよ」
笑って、片桐はなじる。そう、普段ならこういう質問をするのは七海だ。そして、その場合、本郷から回答を聞きだす事は、ほぼ不可能。だから、片桐は自分で聞いた。
「言っておくが、父親になろうなんて思ってはいない」
「まぁ。アリスをぬか喜びさせるつもり?酷いわね」
こういう会話で勝つのはいつも片桐だ。本郷は諦めたように、手すりにもたれかかる。
「――多分、初めて会った時だろうな」
「本当にオレ、どうやってコレを運んだんだろうなぁ」
DDCに送られてきたサボテンを前に、七海は腕を組む。本郷の玄関にあったものだ。つまり、自分が置いたもの。試しに持ち上げようとしたが、直ぐに根をあげた。
「本郷君が嫌がると思って運んだんじゃないの?」
「何それ。火事場のバカ力?」
じゃぁ今度からこれを本郷って呼ぶか。黒いコートを着せて。口調はいつもの七海だが、どことなく上の空だ。
「――引き止めたいんじゃないの?」
「何を?」
「本郷君」
「べーつーにー」
片桐に背を向けたまま、七海は少し黙った。
「今回の、一連の事がなかったら、オレ、アイツをクビにしてたかもしれないし」
片桐は固まる。クビ?よりによって、本郷を?
「多分、オレ等が全員ここにいるってのが良くないと思ってさ。で、オレが辞めてもいいんだけど、これでも一応、代表だし?世間にいらない誤解を与えるのも良くないし?それに、アイツを――」
ここでまた一息。
「本郷をクビにしたら、アイツはアリスのところへ行くんじゃないかなって思ったんだ。逆に言えば、アイツがアリスのところへ行くにはDDCをクビにするしかないんじゃないかなって、さ」
七海が思いながらも躊躇っていたことを、今回は偶然にも事が運んだ。
「多分、『一期生』てのに甘えが出てるんだよ。オレ達にも、皆にも。過去に、団守彦の名に頼っていた時期があったように。だから、それを何とかしなきゃいけないって思ってさ」
結局。考えている事は同じなのだ。伊達に長い間、一緒にいたわけではない。共に仕事をしてきたわけではない。気がつくのも、ほんの僅かの時間差だ。
「――それで、何故、私はクビ候補じゃないのかしら?」
「紫乃ちゃんがいなくなったら、書類なんて書かなくなるよ、オレ」
悪戯な笑みは、会った頃と変わらない。もう20年近く昔だというのに。変わらなければいけないものがある一方、変わらないでいて欲しいものもある。
「でも、正直、本郷がマジで行くとは思わなかったけどね」
「寂しいの?」
「逆。嬉しい」
はたと、違うよ、といつもの意地の張り合いではないと強調する。
「何となく、アイツがDDCを去らない理由に、オレがあったんじゃないかって思ってたんだよね。頼りないって言うか、何をやらかすか分からないという心配の種というか。だから、アリスの事を考える余裕が出来たって事は、ちょっとはオレを認めてくれたのかな――別に本郷に認められる必要はないんだけど」
そういえば本郷に押し付けようと思ってた仕事があったんだ。あと1週間後にしてもらえばよかった。ぶつぶつ言いながら、七海はくるりと背を向ける。片桐は思わず笑う。ずっと笑ってばかりだ。本郷がDDCを去るというのに。
「あ、でも、あれかもよ。1年ぐらいしたら、パパなんてキライとか言われて、戻ってくるかも。アイツ、堅物だから」
七海も笑う。今から空港に行けば、見送る事はできる。だが、今、DDCで笑っている方が、自分達らしい。そう、金輪際の別れでもないのなら、特別な事はしない。
「紫乃ちゃんさ、1週間前――オレの後に本郷と話、してたでしょ?何て言っていた?」
「秘密」
ちえー。頬を膨らませて、七海はメジャーを持ち出し、サボテンのサイズを測り始めた。
日は落ち、辺りは暗くなる。しかし、表情が見えなくなるわけではない。探偵なら、なおさら。
誰にも言うな。特に七海には。そう言った本郷は、照れているようにも不機嫌なようにも見えた。
「ねぇ、本郷君。変なこと言ってもいいかしら」
「変というならやめろ」
「言いたいの」
同じように手すりにもたれる。
「本郷君って、昔から大人びていたというか、頼りになる感じだったけれど」
顔を覗き込むようにして、微笑む。
「今日、初めて可愛いと思ったわ」
――初めて会った時、彼女は笑って、小さな手で指を握った。それだけだ。
08/02/18
8年後のパラレル。10年前のジェーンが日本に来た云々は07年の夏コミに出した本の内容ですが、読まなくても問題はありません。
本郷先生は子供が苦手そうだけど、接し方が分からないだけで実は子供好きとかいいな〜とか、本郷先生がDDCを去るとしたら、それはDDCのためになるからだろうな〜とか、書きたいのは他にもいろいろありましたが、妥協点がこれでした。
オフィシャル設定よりも1期生の年齢はちょっと上です。この話に関しては、七海さんと紫乃ちゃんが夫婦になっていても、それはそれでいいな〜とも思うのですが、その辺は割愛。
1期生は全員DDCに残っていそうだけど、Qクラスは誰も残っていなさそうな気がするんですよね。後継者と言えども。残っていても、日本のあのDDCじゃなくて、あちらこちらに散らばっているというか。