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「それで、何の話かしら」
 食前酒を一口、片桐は正面に座った七海に問う。
「あれ?紫乃ちゃんと食事をしたかっただけだよ?ここ、美味しいって評判だから」
 食事でも一緒にどう?そう七海から電話が入ったのは、本郷の家を出てすぐだった。長い付き合い、空元気の七海の声はすぐに分かる。このタイミングからして。
「本郷君の事でしょう?」
 その指摘に、七海は、困ったように視線を泳がせる。図星だ。
「うん、まぁ、オレにとっちゃ奮発した良い雰囲気の店で、話すのが本郷の事って言うのもアレなんだけどね」
 くい、と食前酒を一息で飲み干す。
「紫乃ちゃんは、本郷の事をどう思ってる?」
「どう?」
「アイツ、今はDDCじゃないじゃん。退職ってことになってるんだから、復職するまでは、さ。どこかに所属しているわけでもないし、独立したわけでもない。つまり、本来なら探偵でもない」
 そういうことね。片桐は頷く。そう、誰もが本郷を探偵と見ている。それも、DDCの探偵として。事情を知っている所員や警察、そして自分も。偽装退職と言われても仕方ないぐらいに。
「きっと、アイツが八百屋に転職したって、周りはDDCの探偵って見るぜ」
 八百屋の本郷は想像がつかないが、七海の言う事は納得できる。しかし、何故。
「なんだろうな。どこに行っても何をやっていても、DDCの探偵、本郷巽っていうのがあるんだよな。カーネル・サンダースが日本でもエジプトでもケンタッキーのカーネル・サンダースなのと同じで」
 分かるような分からないような例え。料理を運んできたウエイターが去り、七海は話を続ける。
「オレ等が全員いなくなっても、それこそDDCがなくなったとしても、アイツはDDCっていうイメージがあったんだよな。だからオレ、当然のように、今回の件が終わったら本郷はDDCに戻ると思ってたんだよね」
 別れ際。復職手続きの話を持ち出そうとして、七海は気がついた。アリス。彼女は絶妙のタイミングでやって来た。そのまま本郷が彼女を連れて帰り、ADOの探偵になってもおかしくはない。ただ、そう思ったのも一瞬のこと。彼女がそんな意図でやって来たなど、考えられない。だが。
「夕方にさ、アルフレッドが来たんだ」
 片桐は訝しげに返す。
「アルフレッド?ADOの?」
「そ。本郷を連れて帰ろうと思うんだけどって、まるでハンバーガ頼むみたいに、かるーく言われちゃってさ。一瞬、何のことか分からなかったよ」
 過去にも何度かあった話だ。ADOだけではない。そして本郷だけではない。七海も片桐も、独立やヘッドハンティングの話はあった。実現しなかっただけだ。いつか七海が言った。オレ等は旧校舎の呪いが掛かっているんだよ。あそこで学んだものは、一生、DDCから離れられないんだ。もちろん、そんな事はない。かつてQクラスと呼ばれた教え子は、各々の道を進んでいる。
 片桐には聞いたことがあった。独立とか考えたことない?彼女の答えは一言。会社に就くか職種に就くかの違いでしょうね。七海も同じだ。DDCというのが重要だった。理由はそれぞれあるにしろ。本郷はどうなのだろう。
「アルフレッドが本郷君を連れて行くために、アリスを連れて来たと言うの?」
「多分、アリスの目的はパパに会いに来た以外、ないと思うよ。アルフが便乗したんだろうな。今まで、本郷はDDCとしてやらなければいけないことがあったし、それが本郷自身に関わることだったから無理強いはしなかったと思うんだけど、今のアイツは何でもないんだ。ADOに行くのもDDCに戻るのも、別の道を選ぶのも、思う次第じゃん。それで、アイツの世にも珍しいウイークポイントが、アリスだ。名探偵、アルフレッドが見逃すはずはない」
 考えられないことではなかった。だが、寝耳に水と思えるのは何故だろう。七海も同じ気持ちなのか、肩を小さくすくめる。
 料理が冷めるよ、と自分もフォークを手にして、七海は少し声を落とす。
「アリスの事を考えると、アイツはADOに行った方がいいのかもしれない。アイツはどこへ行ったってやっていけると思うし、ADOは探偵と家庭を両立できる、この業界では数少ない職場だろうし」
 探偵たるもの独身を通せ。それはかつてのDDCの暗黙の掟。恋人や家庭を持っていると公言している者はいなかった。だが、いないわけでもなかった。仕事柄、慎重にならざるを得ない。それが元で起きた悲劇もいくつかあった。その点、ADOなら多少なりとも緩和される。
「本郷は探偵を辞めたとしても、日本では家庭を持たないと思うんだ。敵が多すぎるから」
 七海は、DDCの代表になるまで、あまり素顔を知られていなかった。常に変装をしていたというわけではない。変装のために、素顔が記憶に残らないよう演じていた。本郷は違う。
「探偵は危険が伴う職業だけど、やり方によるだろ?本郷なんて、保険会社から文句来るタイプじゃん。本人もそれが分かっているから、そういうのは避けてきた。どんなイイ女に言い寄られても」
 言い寄られるどころか脅迫されたこともあったな。思い出したように笑う。暴力団組長の一人娘から求婚された時はオレも焦ったよ。それでも、丸く――本人曰くだが――治めることが出来た。
「だから、ADOに行けば――」
 今まで来た話を断った理由を、本人から聞いた事はない。状況判断で分かるのは、彼の抱えている事件が、DDCと本郷とを分けることができなかったから、というそれだけの事。
「でも、アイツがDDCを去るなんて、やっぱり想像できないよな」
「――そうね」
 手をつけていない料理に視線を落とす。
「紫乃ちゃん」
「何?」
 七海の口調が一転した。
「今のオレ達、別れ話をしている夫婦かカップルに見られてると思うよ」
 今度は片桐も笑って返す。
「それなら、私は泣けばいいのかしら。それともビンタをして去っていくの?」
 慌てて七海は頬を押さえる。
「ここ、デザートも美味しいって聞くんだけどなぁ」


 自宅に戻り、七海は着替えもせずにベッドに倒れこんだ。指を折り伸ばし、数を数える。
 本郷がADOに行ったのは、向こうからの要請もあるし、こちらから協力を頼んだ事もある。そのうち後者で、七海がいわゆる出張を命じた数。DDCはNY支部があるが、西海岸ならば協力体制をとっているADOを介した方が効率がいい。そして本郷が担当するのが、最もスムーズだった。
「オレのせいも、あるのかな」
 この状況を招いたのは。
 本郷は基本的に命令に逆らいはしない。裁量の幅が大きいから命令後は好き勝手やる事があるにせよ、行けと言われれば行く。七海の意図を知って、いつも通り、顔をしかめるだけだ。アリスの誕生日に合わせた出張命令。
 七海の耳にも、本郷があの親子から好かれているというのは届いていた。ただ、本郷は今までと同じく一線を越える事はないと思っていた。言ってみれば、ちょっとした悪戯だった。問題が起こることのない、悪戯。
 今の本郷は一線を越えるとか超えないとか、そういう位置にすらいない。凄く中途半端だ。そんなアイツは見ていたくない。だが、父親なんてやっているアイツも見たくはない。
 付き合いは長い。本郷の事はそれなりに知っているつもりだった。なのに、そう思う。
「探偵」
 そうだ。いつの間にか、オレはアイツを探偵以外で見なくなっていた。




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