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 結局、アリスは本郷が起こすまで目を覚まさなかったが、活動を始めれば、子供らしい元気さを見せた。一緒に風呂に入るというのは何とか却下したが、1年以上溜まっていた話を聞くうち、いつの間にか警察が突入する時間が迫っていた。
 本来なら、まだ仕事は終わっていない。後は警察の仕事で、自分ができる事は何もない。周囲から見ても報告書を書くことが残っているぐらい。だが、今までの自分は、次の仕事が迫っていなければ、全て見届けて初めて終了というスタンスだった。少なくとも、子供に箸の使い方を教えている事はなかった。七海が見たら指を差して笑うに違いない。
 社長講和が始まっているのなら、本郷を知る人間――社長の周辺の人物――は全員、社内にいる。鉢合わせる可能性は低い。今のうちにDDCに行っておくべきだろう。アリスを一人に出来ない以上、あの敷地内は街中よりは安全だ。


 電話が掛かってきたのは、10時35分、DDCに向かう途中。相手は七海。嫌な予感がした。
「本郷、半分良い知らせと半分悪い知らせだ」
 後ろは怒声が飛び交っている。
「良い方は、無事にN社に踏み込めて差し押さえが出来たってこと。悪い方は」
「逃げたな、大蔵が」
「あぁ。まさか2階から飛び降りて、あんなに足が速いとは――って何でお前が」
 天気の良い繁華街、人は多いが、そこから聞こえるのは悲鳴。それは近づいてきている。
「――Oビルの前だ」
 それだけ言って電話を切る。アリスを庇う様に、立ち位置を変える。ほぼ同時に。
「本郷!」
 怒りか焦りか。顔を赤黒く染めた大蔵が、目の前にいた。ここから1km先のN社から逃亡して来た人物と対面するとは、運がいいのか悪いのか分からない。
「いきなり警察が来たと思ったら、やはりお前か!」
 スーツの胸ポケットからサバイバルナイフを取り出す。一般的な社長の持ち物としては不適切だろう。追ってきた警察官が拳銃に手をかける。しかし、周囲には既に人垣が出来ている。発砲する事はできない。自分ひとりであるのなら相手も出来るが、後ろでアリスがしっかりと自分の左手を握っている。安心するようにと軽く握り返す。
「――久しぶりだな」
「あぁ。そして、今日で最後だ。オレ一人で地獄にはいかんぜ」
 ナイフは震えている。覚悟を決めた犯罪者の表情。
「罪を重くしてどうする」
「お前を殺して警察に行くなら本望だ――お前さえいなければ会社はどうにでもなる。まだ、徳岡がいる」
 実刑を食らっても、幹部が逃げおおせれば別会社を立ち上げる事はできる。今まで、幾度となく幾つもの組織がその手を用いてきた。しかし、今回は難しい。徳岡の事は知り尽くしている。今、どこで何をしているか。これからの予定も――いや、その表現は正しくない。本郷は微かに笑みを浮かべ、口を開く。
「大蔵社長。今は、月間目標進捗状況発表の時間ではありませんでしたか」
 愕然とした表情。そして手からナイフが落ち、足から力が抜ける。即座に警察に取り押さえられるが、もはや喚く気力も残っていないようだった。遅れてやって来た七海が、何が起こったと言いたげに、大蔵と本郷を交互に見やる。

 本郷の口から出たのは、この半年間、彼の右腕として信頼を置いていた秘書、徳岡の声だった。


 一応、傷害未遂ということになるのか、本郷とアリスは警察署で簡単な事情聴取を受けた。初めて来た日本での訪問先がDDCと警察というのもどうかと思ったが、婦人警官からお菓子を貰ったりしてアリスはそれなりに楽しそうだった。
「本郷さんに娘さんがいたとはねぇ、驚きましたよ」
 知り合いの警察官も微笑ましそうに、本郷にくっついて座るアリスを眺める。本郷はどう答えていいものかと、前々から思っていたことを訊ねる。
「ひとつ聞きたいんですが」
「はい?」
「親子、に見えますか?」
「えぇ」
 何とも言えない顔をしたのだろう。白髪の混じり始めた警察官は笑って言う。
「外見が、じゃなくて、何と言うんでしょうね、雰囲気というか。実際はどういう関係か存じませんが、仲の良い親子に見えますよ」
 誘拐なら自首してくださいね、という冗談で聴取は終わった。


 面会の約束時間は過ぎていたが、七海は待ち構えていた。片桐も同様だったが、こちらはまたアリスの相手をしてくれるらしい。
「何か、お前が徳岡だとか聞いたんだけど?」
 会議室に入り鍵をかけるや否や、七海は訊ねる。
「あぁ」
「徳岡って、情報収集担当だよな。んでもって、『DDCの本郷巽』について、どっかの探偵社に調べさせていなかったか?」
「よく知っているな」
 怪しげな探偵を使って、一通り本郷について調べさせたのは、N社に入って3ヶ月目。よりによってDDCの探偵を調査するなど荷が重いのは分かっていたが、彼はそれなりに優秀で、行方不明のままDDCを退職したという報告を受けた。むろん、それらを把握しないDDCではない。反対に依頼主、徳岡までたどり着いたのだろう。
「お前、そんな短期間で右腕になったのか。一体、何を買われたんだよ」
 少し離れて、本郷をまじまじと見る。N社にしてみれば警戒しなければいけない相手。変装していたとはいえ、よく気がつかれなかったものだ。押収した書類の中から、徳岡の選考書類を取り出し、凝視する。
「マイナス5キロってところか?体格的には微妙なところか」
「外見としてはその程度だが、俺が徳岡になって間もない時に、お前が一回、俺に変装したことがあっただろう」
「ん?あぁ、そういえば、あったな。ちょっとお前の顔が必要になって、今ならまだ平気だろうって」
「それを大蔵と一緒にいた時に見かけた。だから、別人と認識されたんだろう」
 変装といえば七海光太郎。それは確かだ。ありとあらゆる人物に化けることが出来る、という点では。だが、ただ一人でもばれない他人を持っている、というのであれば彼に限ったことではない。
「で?お前がやった仕事ってのは何だ」
「探りを入れてくる人間は穏便に排除し、他社の情報を警察に密告した。この1年で3社が解散したな。他には警察の捜査状況の調査」
「…まぁ、刑事部長が協力者だし?そのくらいは出来るわな。しかしなぁ…」
 大蔵はバカか。本郷がバカか。いや、両方そうなのか。七海はため息をつく。見ようによっては犯罪行為と呼ばれるものを、平気でする男なのだ、こいつは。穏便てのは何だ。問いただしたい気持ちはあったが、話さなければいけない事は他にも山ほどある。その最たるものが。
「お前さ、これからどうする?」




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