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BEGINNING OF THE TIME


「パパ!」

 駆け寄ってきた少女は、自分に何も言う時間を与えず、抱きついてきた。頬に暖かい感触。バランスを崩しかけたが、踏みとどまり、少女の身体を受け止める。しっかりと首に回された腕。柔らかな髪の毛が顔をくすぐる。

「――アリス?!」

 言った声は、我ながら動揺していた。


 その日、DDCは朝から騒がしかった。久しく見なかった顔があったからだろう。自分が担当しているわけでもないのに、肩の荷が下りたと誰もが思ったに違いない。
 内線電話が鳴る。七海は跳ね起きるように――実際に椅子にもたれて転寝をしていたが――受話器を取る。
「た、大変です!いや、大変ってわけじゃないかもしれないんですけど、本郷さんの」
 電話の相手は動揺していた。しかもよりによって、本日の話題の主の名が出る。まさか、最後の最後でミスがあったか――。そんな不安がよぎる。
「本郷さんの娘が訪ねてきたんです!」
 ホンゴウサンノムスメガタズネテキタ。相手の言葉を反復する。娘。本郷の。
「娘ぇ?!アイツに子供?!」

 言った声は、我ながら動揺していた。

 探偵という職業を長らくやっていると、多少の事では驚かなくなる。しかし、多少ではない事が起これば、当然、驚きもする。なんだかんだ言っても人間だ。
「紫乃ちゃん!」
 受話器を放り出して部屋を飛び出したはいいものの、場所を聞くのを忘れた。七海は運よく通りかかった片桐を呼び止める。
「本郷の娘が訪ねてきたって聞いたんだけど!」
「えぇ、私が案内したわ」
「え?そうなの?無事なの?」
「…無事って?」
「え、本郷が刺されたとか」
「落ち着いて、七海君。何で刺されなければいけないのよ。あの子よ」
「あの子…?」
 七海はしばらく考え、あぁ、と声を上げる。
「あの子、か」


 ここがDDCである以上、基本的に周囲は自分を探偵として見る。それは自身の姿勢でもある。もっとも、100%というのは無理な話。ひとしきり驚いた後――そう、これだけでも周囲を騒然とさせるには十分だ――見せた表情は穏やかだったと思う。
「背が伸びたな」
「うん。でもまだ、友達と比べたら小さいの」
 応接室。向かい合ったアリスは、にっこりと笑う。実年齢より幼く見えるのは身長のせいだけではないだろう。
「一人で来たのか?」
 片桐の話では、彼女一人の面会申し込み。守衛に確認しても、周辺に保護者らしき姿は見えなかったという。10歳。来れないことはないが。
「アルフが飛行機のチケットを取ってくれたの。空港に着いたらタクシーに乗ってDDCって言えば会えるよって教えてもらったの」
「アルフレッドが?」
「ママは仕事でカナダに行ったし、学校はお休みだし」
 何故来たのか。真っ先に聞くべきことを、言い出せない。
「・・・」
 気まずい沈黙ではなかった。最初に気がついたのは本郷。最初に声を上げたのはアリス。視線は2人とも窓の外。
「サボテンが動いている!日本のサボテンって動くの?!」
 むろん、そんな訳はない。タイミングがいいのか悪いのか。窓を開け、声をかける。
「何をしている」
 当然ではあるが、そこにいたのは七海である。1階の応接室、声は外に漏れない。つまり、七海はこちらの会話はお構いなしに、1人、外で揺れていたのだ。
「何って、ほらー、最初の印象って大切じゃん?子供だから喜ばせようかと思って」
 大切と思う場面でそれか。頭を抱えたくなった本郷を押しのけて、七海は窓から部屋に入る。
「やぁ、オレは七海光太郎。DDCのNo.1の探偵だ」
 笑って差し出した手を握り返す白い手。
「アリス・ノーランドよ」


 いつか見た風景だった。片桐は思う。すれ違う所員が話題にするのは、本郷の事ばかりだ。それもそのはずで、DDCの中でも特に堅物と評価される探偵に子供がいるとは誰も思わない。それも外国人で――本郷の子供であればハーフということになるが――劇的なシーンを見せられては、気にもなる。11年前の出来事を知っている人も少ない。驚いていないとすれば、事実を知っているか、11年前の事を誤解したまま覚えている者ぐらいだろう。
「片桐さんは知っていたんですか?」
 何人かに尋ねられたが、勝手に人の秘密を暴露するようでは探偵として失格だ。どうとにでもとれる受け答えをしていると、携帯電話が鳴った。
「はい――あら、本郷君?」


 例え急な訪問者でも優先順位はある。アリスもその事は分かっているらしく、すぐに会議に行かなければいけないことを理解してくれた。その間の彼女の相手を、本来は休暇を取っているから時間ならあるという片桐に甘えることにした。アリスの日本語能力は簡単な挨拶程度だが、片桐に英語での会話で支障が出る事はない。
「本郷君、家のことだけど、一応、確認しておいたわ。迷惑かと思ったけれど、掃除をして布団も干しておいたから生活は出来るわよ。食料の類はないけれど」
「すまなかったな」
「私も荷物を置かせてもらっていたから、礼を言うのは私の方よ。多分、七海君も昨日のうちに作業したはずだけど」
 事情があって、この1年、家には帰っていなかった。いなくなったという前提で適当にしておいてくれ、と言ったところ、馴染みの同僚たちは物置として使用していたらしい。片桐が言った確認とは、盗聴器やカメラの事。1年前まで、そういう心配をしなければいけない立場だったのだ。
「ただね、本郷君」
 片桐は声を潜める。
「部屋の事だけど――」
「何かあったか」
「七海君の荷物。大量のサボテンと缶ビール。あれを全部撤去したかどうかは疑わしいわ」


「何でお前がそれを知って――あぁ、紫乃ちゃんか」
 会議室に向かう途中で、早々に応接室から追い出した七海と合流する。1つ2つは残ってても怒るなよ、と部屋の件はそれで終了した。本郷も、そのくらいは諦めている。
「それにしても、運がいいね、アリスちゃんは。これが昨日の今の時間であれば、彼女、泣いていたかもよ」
「余計な口出しはいい。時間は」
「昨日からの関係者の予定表見てみろよ、稼働率は最悪だぜ?今日はお前の天下。今、警察が到着したところだ」




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