見知らぬ土地で自分の知っているものに出会うと安心する心理の結果か。世界規模のハンバーガチェーン店はどこに行ってもある。DDCの近くにも、だ。昼食時は少し過ぎただけ、混雑している店内。通る人が皆、一回は凝視する。そんなハンバーガの山の前に座っている男の向かいに、本郷は腰掛けた。
「どういうつもりだ」
「日本のハンバーガは量が少ない。こんな数にもなるさ。遅かったな」
驚きもせず、アルフレッドは一つどうだと差し出した。先の会話で、後ろから聞こえていた声は日本語だった。駅に隣接している店舗、ご丁寧に電車の発車アナウンスまで流れていた。遅かったというのなら、意図的に聞かせたのだろう。
「尾行も見つからずに済んだようだし、無事にDDCに入っていくのを見たら安心したのか、腹が減ってな」
ハンバーガと家族をこよなく愛するマイペースな男だが、ADOの所長であり、名高い探偵に変わりはない。勝手に出かけられて困るのは所員だ。今ADOの事務所に電話を入れたら、これ以上ない文句が聞けるに違いない。
「いくらオレでも、彼女を一人で日本に行かせる気はないってことだ」
ADOは家庭を持つことにオープンな環境だ。国柄、DDCよりも危険な仕事は多いが、対策もトップレベルのものを行っている。所内には仮眠室よりも立派といわれる育児スペースもある。所員の子供は所員全員で育てる。アルフレッドからしてみれば、アリスは孫もいいところだろう。
「元々、日本に用があったのはオレの方だ。アリスがお前に会いたいって言うから連れて来たんだよ。いるかどうかは賭けだったがな。仕事は終わったのか?」
「明日、終わる予定だ」
「じゃ、運がいいんだな、彼女は」
ジェーンは知らないという。適当に連絡しておいてくれ。無責任に言い放って、アルフレッドはハンバーガを口に運ぶ。
DDCに戻る。この時も守衛は笑って会釈をしただけだった。片桐とアリスのいる応接室へ入ると、何故か七海も来ていて、テーブルの上には小さなサボテンがずらりと並んでいた。
「七海君と少し話をしたんだけど」
熱心にサボテンの講義を続ける七海を横目に、片桐は本郷にもお茶を勧める。
「明日の午前中までは、本郷君が人目につくのは極力避けるべきだと思うの。アリスと一緒にいるところを目撃されるのは、なおさら」
「つーか、誘拐犯に間違えられるし」
唐突に顔を上げて余計な一言を挟み、七海は「アリスちゃんにはコレかな」と一つを手に取る。
「今晩は私の部屋に泊まってもらおうかと思ったけど、アリスは本郷君と一緒にいたいみたいだから、私が彼女を連れて行こうかと思うんだけど、大丈夫かしら」
「問題はないが、しかしお前は休暇――」
「休みについて本郷君に言われる筋合いはないわよ」
「パパ、どうしたの?」
難しい顔をしたのだろう、アリスが顔を覗きこんでくる。正直、この2人の前で「パパ」と呼ばれるのは居心地が悪い。
「大丈夫だよ。アリスちゃんには、パパは悪の秘密組織と戦っていて、明日の最終決戦まで街中を歩けないって言ってあるから、一緒に帰れなくても拗ねないよ」
この際、七海の説明でも文句は言うまい。片桐の警告は尤もで、案を呑んだ。
「オレはこの後、来客があるから、残念だけどアリスちゃんとは、ここでお別れ」
プレゼント、と赤い花の付いたサボテンを渡し、七海は部屋を出て行った。
応接室では耐えたが、家に帰って本郷は思わずこめかみに手をやる。玄関に堂々と待ち構えていたのは、自分よりも背の高いサボテンだった。
「ごめんなさい、本郷君。私たちだけじゃ動かせなくて」
先に来ていた片桐とアリスは隙間を縫って部屋に入ったらしい。ここまで来ると、怒りよりもむしろ七海がどうやって持ち込んだのかが気になってしまう。
「何かあったら連絡を頂戴。私は明日も休みだから」
アリスが来て5時間後、やっと落ち着いて話せる環境になった。
昨日まで自分は本郷巽ではなかった。探偵としての仕事はしていたが、探偵として話すことはこの1年なかった。探偵に戻ってじっくり話すのが、英語しか話せない少女と日常の話というのは、どことなく可笑しい。
アリスは話したいことが沢山あるようだが、本来なら寝ている時間、自然とまぶたが閉じてくる。
「疲れただろう。もう寝たらどうだ」
「パパは?どこにもいかない?」
「あぁ」
その言葉に安心したのか、それでも不安なのか本郷の上着をつかんだままもたれかかり、すぐに寝息を立てる。
そこにある面影は、今は亡き友人、ルークのもの。
「約束?」
「そう。何かあったら互いの家族を見守るっていう」
「縁起でもない。それに俺は家庭を持つつもりはない」
「相手がいないだけだろ?紹介してやるぜ、ジェーン以外なら」
ADOとは、個人的な付き合いから始まった。DDCと協力体制をとるようになったのも、本郷のパイプが大きい。ルークとは会えば1回は2人だけで飲む、そういう間柄だった。
「あぁ、でもお前のほうが先にくたばりそうだ。保険会社から文句、来ないのか?」
新しく出来た顔の傷を指差してルークは笑った。その1ヵ月後に彼は事故で死んだ。それを知ったのはさらに後、ジェーンが日本に来て起こった騒動でのこと。ルークを殺した相手を追って、彼女はやって来た。
それももう、10年以上前の話だ。
子供が生まれたら顔を見に行く。それはジェーンとの約束。その後も会いに行っているのは、ルークとの約束。
――そうだろうか。
アリスをベッドに運び、ぐるりと室内を見渡す。DDCと違い、なんら記憶を呼び起こさない。今なら、ジェーンの家のほうが我が家と思えるだろう。この家よりは滞在時間は長い。それでも、1年に1回か2回。1ヶ月ぐらいの滞在。一緒にいる期間はその程度だ。なのに、何故、彼女は自分を父親と慕ってくれているのだろうか。
自分を父親だと教えたのはジェーンだ。しかし、彼女は真実も教えている。アリスが生まれれる前にこの世を去った、本当の父親のことも。
ジェーンには言ったことがある。ルークの代わりにはなれない。だが、彼女の態度は変わらなかった。アリスもまた。アリスを拒絶した事はない。確かに、ルークとの約束は頭にあったが、自分を父親と慕ってくる彼女を、愛おしいと思っているのも事実だ。危険がなければ、会うことを制限するものはない。相手が望むなら、誕生日ぐらい祝いに行っても、誰も咎めない。それは父親でなくとも、同じではないのだろうか。父親として期待させる言動を、自分はしているのだろうか。
――それとも、自分が、彼女の父親でありたいと、望んでいるのだろうか。
ADOに来いと言われたのも1度や2度ではない。それらは、はっきりと断っていた。自分がいなければいけない、という驕りはないが、DDCの探偵としてやらなければいけない事はあった。
今の自分は正確にはフリーだ。N社の事件も、明日、終わる。そうすれば、自分を引き止めるものは何もない。ならば――。
そういえば。脈絡なく思い出したのは、会議室を出る際の七海。彼は、何を言おうとしたのだろう。