00:00 AM
それは当然、学園長室にいる団と片桐にも聞こえた。
「始まったようだな」
心なしか楽しそうに見える団。彼は常に中立の立場であり、唯一の傍観者でもある。『犯罪者』の計画も『追跡者』の対策も知らされていない。
電気が消える。停電?ブレーカーを落とされたのなら、彼らはもうこの校舎に入っているのだろうか。今鳴り響いている警報は、『不法』に――例えば塀を乗り越えたりして――敷地内に侵入した者がいた場合に発せられるものだ。時間的に無理なはず。片桐の携帯が鳴る。
「校舎の入り口にいるんですが、2人の姿は見えません。ただ、旧校舎がやけに明るくて――」
「旧校舎ですって?」
状況確認のため、外に出た同僚の戸惑った声。目的は研究室なのに?
「今、旧校舎は当直の真木先生が見回りをしている時間ね。何人か、そちらに行って頂戴」
00:01 AM
光の消えたDDS校舎は、まるで要塞のようだ、と真木は窓から見える風景を率直に表す。そして、同時にいつもより明るくなった旧校舎。それは単に比較の差であって、実際のところは変わってはいない。しかし、なぜここだけは停電しないのだろうか。外灯も消えているというのに。電子音が響く。
「片桐ですけれど、そちらは変わりありませんか?」
「えぇ…むしろそちらのほうが」
「こちらも特には。今、そちらに数人向かっています。何かあったら連絡いただけますか?」
瞳で認識したものが、声を忘れさせる。角から現れた伸びた影。走っているのだろうが、足音はしない。ここまで完璧に足音を消せる人間を、真木は2人しか知らない。そしてそれは今回の――。
「本――」
言い終わるよりも早く。鈍い光に視線が止まる。
00:02 AM
聞こえたのは、あまり日本では耳にしない、短く乾いた音。
「真木先生?!どうなさったんですか?!」
呼びかけても反応はない。途端に、通話が切れる。何があったのかは考えるまでもない。しかし――。コンコン、と音がして窓のほうを振り返る。見なれた笑顔。
「七海君!」
ここ、3階よ――。思わず声に出そうになり、それよりも団を庇うように片桐は動く。どうやら七海は、DDCウォッチのワイヤー一本で身体を支えているようだ。ということは、屋上の手すりにでも引っ掛けたのだろう。僅か2分で校内に入り屋上まで行って降りてきたというのか。何のために?校内に入れたのなら何も外に出る必要はないのに。あまりの展開に頭が混乱する。
七海の身体が窓から離れる。まさか、この窓を破ろうとしているのだろうか。ワイヤーが入っている窓を、たかが体当たりで――例え靴先に鉛が入っていようとも――破れないのは承知のはずだ。何より、ここには――。そこまでいって、片桐は気がつく。彼の狙いを。
00:03 AM
あっという間に広がる赤黒い染み。真木は自分の胸と本郷を交互に見比べる。表情に変化はない。引き金を引く時すら、なんの戸惑いも見うけられなかった。まるで本物の殺し屋のように。真木の携帯を取り上げ、電源を切る。そこで初めて、表情が微かに和らいだ。
「10分ほどで、消えますから」
胸元を指差して。本物なら即死という事を忘れ、真木も笑い返す。
「…随分と、慣れていますね。射撃の経験がおありですか?」
それには答えず、本郷はいくつかの足音を捉える。3人。
「できれば、そこで死体を演じていていただきたいのですが」
「まぁ、これで動き回っていたらゾンビですからね。おとなしくしていますよ」
どこか緊張感のない会話。真木が廊下に腰を下ろした途端、DDS校舎のほうから一際目立つ警報が鳴る。あれは確か学園長室の――。本郷の表情が元に戻る。軽く会釈をして、走り去る。もし彼が本物のスナイパーだったら、去り際に十字を切るぐらいの事はするのではないだろうか。そんなことを思いながら、真木は窓の外を見上げる。屋上に、一瞬白いものが見えた気がした。
00:04 AM
片桐が学園長室にいたのは、ラッキーだった。もちろん、いなかったらいなかったで別の手は打ってある。本番ならいざ知らず、遊び――そう言ったら怒られるだろうが――で彼女と一戦交えるのは苦手だ。それに、『追跡者』は少なければ少ないほどいい。七海は、屋上の手すりに、特殊な結び方で結わえたワイヤを解く。多分、片桐は屋上からワイヤで地上に降りたと思っているだろう。今回の計画で、唯一気づかれてはいけない仕掛け。予め屋上から吊り下げておいた、このDDCウォッチを知っている人間はほとんどいない。ドクター・ドクロから『拝借』してきた試作品だ。実際は失敗作をそのまま貰った、という方が正しい。ボタン一つでワイヤが巻き取られるのだが、その力が強すぎて1歩間違えれば命に関わる、という理由でこのバージョンは一つしかない。しかし、ロッククライミングにはうってつけなのだ。
急いで反対側へ走る。2階の一室から明かりが漏れている。停電の際、即座に自家発電で賄える部屋は3つ。学園長室、科学班研究室、そして救急医療にも用いられる医務室。光に照らされたカーテンが、まるで幽霊のようにはためいている。どうやら上手くいっているようだ。
00:05 AM
2重奏とも言える警報の中で、片桐は軽く唇をかむ。七海の目的は、団と自分を閉じ込める事にあった。ここを始めいくつかの部屋のドアは、窓にひびが入っただけでも、『外側から』ロックがかかる。これを中から解除できるのは、団か、このシステムを作ったドクター・ドクロだけだ。
落ち着いて。息を吐く。七海がいた、ということは旧校舎で真木の携帯を切ったのは本郷だろう。これは予想が出来ていた事だ。このような状況で、本郷が自分から手を出す事はほとんどない。凶悪犯と対峙する時ですら、あくまでも『防御のための攻撃』なのだ。方や七海は、こういう事に関しては天才的な能力を発揮する。長年の付き合いからも、そして先程の人を食ったような満面の笑みからも間違いない。となると、率先して動くのは七海。本郷はサポートに徹するはず。それはお互いの得意分野が一致した結果であって、どちらかが譲歩したというわけではない。やはり、旧校舎は戦力を分散させるための囮だったのだ。ならば、向かった3人は戻ってこないだろう。提示された条件――研究室に捕われ過ぎたかもしれない。
「紫乃君」
騒がしい警報の中、静かな声が響く。
「鍵は、必要かね?」
片桐は微笑む。『傍観者』である彼は、いない者と考えなければいけない。
「結構ですわ。ここは、私の負けです」
講師室に残った6人に、あの2人を止められるかというと、恐らく無理だろう。最後の頼みの綱は――不安の種でもあるが――ドクター・ドクロ一人のみとなった。
00:06 AM
「うぃーす」
「遅いぞ、七海」
今度は正真正銘、屋上を経由して医務室の窓から現れた七海を待っていたのは、恐らく30秒前に着いていただろう、本郷だった。もし、自分のほうが早かったら本当に窓を破って侵入できるチャンスだったのに――。少し残念に思いながら、七海はワイヤーを戻す。
「しかし、医務室のデスクで銃弾の装填してるってのも、シュールだな」
「ごたくはいい。お前の準備はどうなんだ」
「はいはい。じゃぁ、俺はお医者さんごっこでもしますかね」
ジュラルミンのアタッシュケースをポンとベッドの上に放り投げ、自分も腰掛ける。
「…何をする気だ」
ケースから取り出したものを見て、本郷は顔をしかめる。
「いやなに、あんまり空気に触れるとよろしくないから。別に本当にお医者さんごっこやるわけじゃねぇから、安心しな」
取り出した瓶の中身を、針の長い注射器に入れ、キャップをして上着のポケットに入れる。
「ところで、旧校舎には何人行った?」
「4人」
「で、紫乃ちゃんは学園長室に閉じ込めたし、ドクロちゃん除いて6人。誰かに会ったか?」
「お前の仕掛けに引っかかって身動きが取れなくなった2人に」
「マジ?嬉しいなぁ」
素直に顔をほころばせる七海に、口を開こうとした時、微かに足音が響いてきた。
仮にもDDS講師だ。人探しはお手のものだろう。
「でもさぁ、今回、たまたまDDSに来ていた人間まで参戦って、どーなんだろうな」
話を続けながらも、七海は先程の液体を手に、窓による。2人か、と目で合図する。外の気配を伺っていた本郷が頷く。ドアの両側。このドアは外開きだ。開ければ、一人に死角を与える事になる。しかし、こちらも死角に入る事に変わりない。七海の手が数を数える。3,2,1。
00:07 AM
合図と同時に、ドアを勢いよく開ける。壁に張り付いていた同僚の腕を掴み、部屋の中へ放りこむ。
「どうなさいました?風邪ですか?」
こんな時まで声色を変える余裕。そのやり取りを背に、本郷はすぐにドアの後ろの同僚に銃を向ける。
「…これはまた、物騒なものを」
「モデルガンですよ。弾は、鬼首博士仕様ですけどね」
両手を上げた同僚を医務室へ促す。入れ違いざまに、七海が出てくる。ドアを閉めるや否や、七海は先程の注射を取り出す。
「本当はドクロちゃんの部屋から出るときに使おうと思ったんだけど、まぁいいか。本郷、ドアノブ、10秒ほど押さえておいてくれ」
そう言って、鍵穴に針を差しこむ。
「何なんだ、それは」
「これ?空気に触れると10秒ほどで固まる接着剤。でもって30分ぐらいで水みたいに解ける。ちなみに、窓にも塗っておいたから――」
遮るように廊下の奥を差した本郷の指を追う。そこは暗闇が蛇のようにとぐろを巻いていた。
さすが、常に現場にいる人間は、講師陣に比べて気配を消すのに長けている。しかしこっちには、そのプロフェッショナルがいるんだぜ?
七海はアタッシュケースから、子供用のサッカーボールを取りだし、蟠る闇に向かって蹴る。ポン、と弾ける音と共に、廊下は赤い霧に呑まれた。それは容赦なく自分達にも向かってくる。
「…物事には、限度というものがあるのを知らんのか」
「4人も『殺している』奴に言われたかねぇよ」
赤い触手から逃れるように走りながら、七海はふと思った事を口にする。
「前から気になっていたんだけど。お前に気配を勘付かせないのって、もしかして死体だけ?」
階段を数段一気に飛び降りる。研究室は、医務室の真下だ。
00:08 AM
「いらっしゃい」
扉の向こう、ドクター・ドクロは椅子に腰掛けて、警報ベルをBGMにカップを傾けていた。
「へぇ、随分余裕じゃないの、ドクロちゃん」
「そりゃもう、ちゃーんと防弾チョッキ着てるから」
「…本郷、頭を狙え」
「えー、七海ちゃん、そりゃフェアじゃないでしょ」
「どっちが。防弾チョッキを常時着用している研究者なんていないだろ」
「七海」
このままどんどん話がずれそうな気がして、思わず口を出す。このモデルガンも七海がここから『持ち出した』ものだ。そのくらいの対策は取れるだろうし、別に支障はない。
「あぁ、そうだ。まぁ、そういう訳なんで、俺らは何か盗み出さなきゃいけなくて。抵抗すると身のためにならないから、おとなしくしていて欲しいんだけど」
自信満々だねぇ、とドクター・ドクロは、にやりと笑う。
「でもねぇ、今しがた、この校舎の出入り口は全てロックをかけたんだよねぇ。いくらそこで本郷君が研究室のドアを開けていても、それ以上外には出れないよ?」
確か先月の保守点検ではそんなものはなかったはずだ。それであの笑みか。本郷は2週間前の会議を思い出す。
「でも、自動ロックってったって、窓ぶち破れば外出れるじゃん」
よほど器物破損に執着があるのか、あっけらかんと七海は答える。
「甘いね。自動ロックといっても、鉄格子だから」
駄目だこりゃ、と振り向いて肩をすくませる七海の顔は、仕草と反して笑っている。そう、自動ロックには欠点がある。状況は有利に働いている。七海は、アタッシュケースの外側の突起を、後ろ手で押す。
00:09 AM
警報ベルが3重奏となる。
「この警報って――」
ドクター・ドクロは正面のモニタに、全教室を映し出す。
「って、私の部屋じゃないかっ!」
すぐ隣。すでにこちらにも僅かながら入り込んできた煙。
「七海ちゃん、何てことしてくれるのっ!――うわっ」
消火器を片手に、慌ててドアを開ける。冷静さを失っているが故の、タブーとされる行動。既に充満していた煙が彼を包み込む。
その隙に七海は、机の引出しからCD-Rを数枚手に取る。
「さっさと行くぞ」
火災警報ベルが鳴っている間は、全てのロックが解除される。すなわち、片桐がいる学園長室もだ。彼女は、すぐに降りてくるだろう。それに先程の催涙ガスから復活した2人も。
「じゃーねー、ドクロちゃん」
バイバイ、と見えない姿に向かって七海は手を振る。
「…医務室の2人と、罠に引っかかった2人はどうするつもりだ?」
「んー。まぁしょうがない、焼け死んでもらおうか」
薄情にも他人事のように話を終わらせる。もっとも、あれが本物の火災だったら、ドクター・ドクロが扉を開けた瞬間にバックドラフト現象が起きて、自分達も無事では済まなかったのだが。
「うわっ」
「博士、大丈夫ですか?!」
声の主達は、姿の見えない『犯人』よりも、目の前の『火災』に足止めをされた。
00:10 AM
「なぁ、本郷」
警報が鳴り響く暗闇の中。目の前に壁が迫る。今更赤外センサを横切ったからといって、状況が悪くなるという事はない。
「もし、探偵を廃業する事になったら、2人で組んで、世界を股にかけた大泥棒にでもなるか?」
「その時までに生きていたらな」
「縁起でもねぇな」
コンクリートの壁。それを境に、音はその存在意義を失った。