いつものように教室に入った連城は、入り口で足を止めた。
教室には、3人3様、授業開始前に席についている。しかし、微妙に配置が違う。机は黒板と平行に3つ、その後ろに2つ並んでいる。普段は前列に3人が座る。片桐と本郷はいつもの席だ。七海の席には。
「…犬?」
白い犬が、行儀よく椅子の上に座っていた。
「あれ?」
駅を出て、真っ直ぐな道を進んで、最初に左に折れる角。七海が見つけたのは、白い犬。電柱の影に座り、尻尾を振っている。首輪はしているが、電柱に繋がれているわけでもない。
「迷子かしら」
「むしろ、脱走してきたんじゃないか」
土曜日、午後からの授業は3人とも同じ電車に乗ることが多い。一緒に歩いてきた片桐と本郷も、足を止めた。
「首輪に名前書いてある。えーと…」
そのまま黙ってしまった七海の後ろから、片桐はどうしたの、と覗き込む。
「KOUTAROU…こうたろう…」
小さく笑った片桐に、七海は頬を膨らませて振り返った。
「笑うことはないだろ?」
「ごめんなさい」
それでもまだ、顔は笑っている。
「脱走癖があるのは、名前の所以か」
「何だよ、それ!全国の「こーたろー」に失礼だろ!」
「はいはい、早く行きましょう。授業に遅れるわ」
いつもの他愛ない二人のやりとりに、片桐は率先して歩き出した。ついで、本郷。そして七海――。
「何、どしたのお前」
七海の声に振り返れば、犬がついてくる。
「ふむ。それで、ここまで来てしまったと」
連城は、話を聞いて納得した。しかし、それが七海の席に着いていると言うのはどういうことだ。
「七海君を押しのけて座って、動こうとしなくて」
「へぇ。めずらしいね。椅子に座るのに慣れているのかな」
「先生、それ、感心するところが違うと思うんですけど」
「まぁまぁ。この犬だって悪気があるわけじゃあるまいし。しかし、どうしようか。授業を始めるにしても」
何の言葉に反応したのか、耳がぴくりと動く。そして犬は、椅子からぴょこんと飛び降りると、悠々と教室を出て行った。
「…何だぁ?」
「授業、に反応したのかしら」
「なるほど」
「こうたろう、の名前はだてじゃないのかな」
「ちょっと!何でして皆、そういう…」
「はははは。じゃ、授業を始めるよ」
「先生、少しぐらい何か…」
情けない七海の声は無視して、連城は本を広げた。
「あ、来た」
あれから3日、授業が始まる前に、コウタロウは毎日やってきた。駅で七海を見つけて、着いてくるらしい。本郷や片桐ではなく、七海の後をこっそりと。DDSが見えてくると、自慢げに前に回りこむのだった。
「警察犬は聞いたことあるけど、探偵犬ってあるのかしら?」
確かに、尾行に関しては誰よりも上手い。団や連城が入ってくると帰ってしまうので、どこで飼われているのかはわからない。ある意味、探偵の素質は持っているのかもしれない。
「最初に会った道の先は、住宅街だったな」
「えぇ。かなり小道が入り組んでいて。迷路小路、とも呼ばれているわ」
「なんにしても、賢いよな。さすが、『こうたろう』の名前を持つだけの事はある」
自画自賛のつもりか、胸を張った七海を押しのけて、いつもの席にコウタロウは収まった。
「来ないなぁ」
窓の外を眺め、七海が呟いたのはそれから4日後。一昨日から、犬は来ていない。
「大丈夫かなぁ」
風邪ひいていないかなぁ、と木枯らしの音を聞きながら、なおも続ける。
「飼い主が見つけたのかもしれないわ」
「そうでなければ、病気にかかったか、事故にあったか」
本郷君、と小さな片桐の声に、本から目を離し、七海の表情を見た本郷は、考えのない事を言った、と後悔した。
「結構、時間かかりそうね」
「仕方ないな。怒りが持続しないのはあいつの長所かもしれないが、落ち込むと長いのは短所だろう」
その落ち込んだ原因のひとつは自分が作ったものだが。
「やっぱり、自分と同じ名前で、懐いていたから、愛着があったのかしら」
「懐かれて後ろを付いて来る、というところかもしれないな」
七海はどちらかというと、可愛がられ、人に懐き、人の後ろを付いていくタイプだ。あの犬は、七海の後ろしか歩かなかった。本郷や片桐に懐いていない、というわけではないのだが。
掃除当番の七海を残し、二人は、最初に犬を見かけた小路へやってきたのだった。
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