「腹時計じゃと?」
七海の問いに、老人は驚いた声を上げる。ぬいぐるみをあげたことは、拍子抜けするくらいあっさり認めたが、時計のことを訊ねると妙にばつの悪い顔をした。
「あぁ、そうか。間違えてしもたか。すまんの、お嬢ちゃん」
「…どう言う意味だ、じーさん?」
「だから、間違えたんじゃよ。あれは、わしのひ孫にやるほうじゃった」
「……は?」
「だから、間違えたんじゃ。言葉が通じんのか、小僧」
小僧と言われても。七海は頭をぽりぽり掻く。この老人のひ孫にやるはずのものが、ななみに渡された。間違えたというからには、意図的ではなかった。それはわかるが、自分のひ孫に爆弾いりぬいぐるみを渡す奴がいるか?
「あの中身は、何なんだ?」
「なに、ちょっとしたイタズラじゃよ。なにせ、聞き分けのない子なんで、少し驚かしてやろうかと思うての」
「あー、これは爆弾じゃないねぇ。いや、一種の爆弾だけれども」
七海の席を占拠し、ぬいぐるみから慎重に時計一式を取りだして、しばらく調べていたドクター・ドクロはポン、と手を打った。堅めのプラスチック板で覆われた時計の後ろについていたものは、風船だった。1分間に1回、秒針がタイマーの針と重なると、空気が少しずつ送られる仕組みになっているらしい。板の内側に1箇所、小さな突起がついている。そこまで膨らんで、破裂するといったものだろう。火薬や起爆剤といったものはなかった。つまり、普通の風船をピンで破裂させる以外の効果は得られない、ということだ。
「でも、誰が何の為にこんなものを作ったのかしら」
「そうだねぇ…ぬいぐるみのなかで爆発しても、音がするだけだし。でもこれ、風船の中に小麦粉が入っているから、もし外に取り出した時に破裂したら、真っ白けになるねぇ」
すでに時計は止まって、風船も容器の半分以下の大きさにしか膨らんではいない。破裂するには後数時間を要するとの事だ。
「いたずら、の割には手が込んでいるように思いますが」
「そこだよ、本郷君。この小型アクチュエータはかなり精度の良いものだよ。こういうのは、町工場の熟練職人の技だね。大量生産では真似できないよ。だから、そっちのほうから足はつくかもしれないけど」
分解された部品を見ていた本郷から、一つを受け取り、しげしげと感心の眼差しで言葉を続ける。いい仕事してるよ。ぜひとも研究室に来てくれないかな。
「いたずらの割には、手が込みすぎてるだろ、じーさん」
話を聞いて、七海は思わず頭を抱える。
「別に手は込んでおらん。少し工場の機械を動かしただけじゃ」
「というか。ひ孫を驚かすために、部品一式作って時限装置組み立てて風船爆弾入りぬいぐるみ作って、んで、予備に買っておいたのが必要なくなったから、この子にあげたんだけど、同じ物だったから間違えたって、そんな話しがあるかよ」
「現にあるじゃないか」
年寄りの話しは素直に聞くもんだ、という老人に、七海は、そういうもんじゃねぇ、と息を吐く。
「やりすぎだってーの。下手すりゃ大騒ぎになるだろ。どこの世界に、いたずらのために工場までうごかす奴がいるんだ」
「探偵の癖に了見が狭い奴だ。わしは70年、工場と共に生きておる。自分の工場だしの」
「70って…じーさん、今、いくつ?」
「88。まだまだ現役じゃ」
「うそっ」
「ボケちゃおらん」
亀の甲より年の功、とでもいうのだろうか。確かに長い人生を歩んでいる人間には一杯食わされることが多い――上司の顔を思い浮かべつつ、自分のひざを枕にして熟睡しているななみを眺める。年寄りと子供には勝てないのだろうか。
「遊び心を忘れちゃいかんぞ、小僧」
まさか自分が言われるとは思わなかった言葉。そして、まさか自分が言うとは思わなかった言葉を心で返す。遊びすぎるのもどーかと思うぜ、じーさん。
「もし、この手紙と関連があったとしたら、これが『結果』ということになるのかしら」
片桐が手紙を読み返す。宛先も差出人の名前もない封筒を眺めながら本郷も頷く。
「あるいは、これすらも予告、ということもありえます。しかし、全くの別件だとして、単なるいたずらでないのであれば、少々厄介ですね」
「そーだねぇ。渡されたのは子供なんだろ?いわゆる、無差別ということになるねぇ」
いつのまにか、時計から取り出した風船に息を吹き込んでいるドクター・ドクロを見て、片桐はあることに気がつく。
「あの、ドクター・ドクロ?風船、破裂させないでくださいね?」
「何をおっしゃる、片桐先生。どのくらい膨らませれば破裂するかぐらい、分からないドクター・ドクロじゃないよ」
「いえ、そうじゃなくて、そこは――…」
本郷が片桐の言いたい事を察したのと、短く乾いた音が響いたのは同時だった。
「じゃぁ、百歩譲って事実だとして」
「百歩譲ってとは何事だ。事実しか言っておらん」
「分かったよ。で、じーさん、なんでこんな所に来たんだ?子供に渡すならこんなところより、他に適切な場所はあるだろ?それに、渡したなら、なんでいつまでもここにいるんだ?」
「適当に来たから迷って、帰れんだけじゃ」
「ボケてるじゃねぇか、十分にっ!!」
思わず腰を浮かしかけて、慌てて座り直す。ななみはまだ起きない。深呼吸をして、気持ちを整えて、改めて老人を見る。頑固な職人気質が現れている顔。しかし、深く刻まれた皺は好々爺という印象を受ける。探偵の勘としては100%シロ。問題は、経緯があまりにも拍子抜けなものだから、事実といわれても納得し難い、ということだ。普段ならあらゆる方向から攻めて、柔軟に物事を見ることが出来るのに。こういう相手は、本郷に押し付けたほうが得策だったかもしれない。
「あー…。そうだねぇ、ここには、サボテンがあったんだねぇ。しかし、以外と割れやすい素材だったんだねぇ…」
一瞬にして白く濁った視界。ゴムの切れ端をぶら下げながら、ドクター・ドクロは他人事のようにつぶやく。
「それにしても、粉の量はすばらしく適切だよ。見事に均等に飛び散って…」
「鬼首博士」
「ドクター・ドクロ?」
恐ろしく落ち着いた声に、背中に流れるものは気のせいではない。
「あ。いやー、その。うん、本郷君、たまには白い服も気分転換でいいんじゃないかな。片桐先生も、いつもより色白で、綺麗に見えるよ」
無言で本郷が立ちあがる。
「ここの掃除、お願いしますね」
そう言って、片桐も席を立つ。
「え?私一人で?」
『宜しいですね』
「…はい」
いつもなら絶対にしないであろう、音を立ててドアを閉めて出ていった2人に、ドクター・ドクロは首をかしげ、同じく――元からでもあるが――真っ白な相棒に声を掛ける。
「そんなに怒らなくてもいいとは思わないかい?エリザベス」
「じゃーねー、こーちゃん」
会った時よりは幾分か大きいぬいぐるみを抱え、ななみは大きく手を振って両親と歩いていった。待ち合わせ場所で、娘と、白い帽子に白いスーツの男、大きなぬいぐるみ、老人、という組み合わせに唖然としていた両親は、自分より少し年下に見えた。彼女くらいの娘がいてもおかしくないのかと、今更ながら自分の年齢を数え、苦笑する。
「じゃ、じーさんはとりあえずDDSに来てもらおうか」
片桐と本郷にも一応話を聞いてもらったほうが良いだろうし、家族に迎えに来てもらうなり彼が分かる場所まで連れて行くなりしなければいけない。88歳という割にはしっかりとした足取りで、老人は自分の後ろを付いていく。
「ん?」
DDS正門前。守衛室からは死角の位置。一人の男がうろうろしている。老人にそこで待っててくれと、七海は気配を殺して後ろに回る。こう見えても、人の背後を取るのは得意だ――本郷相手に成功した例はないが。
「そこで何をしてるんだい?」
「うわっ」
必要以上に驚いて、男が振り向く。にこやかな笑みを浮かべる七海に、安心したようにため息をつく。
「いや、ちょっと、人に頼み事して――ちゃんと届いたかなー、とか」
「それって、手紙とか?」
「そうです、そうです」
「あー、そー。てことは、君か、あの手紙の主は。そうか、そうか。あははははは」
「ははははは」
七海につられて男も笑う。しかし、彼は気づいていない。七海の目は笑っていないことを。
滅多に来ることはない屋上。まだ僅かに濡れている前髪を掻き揚げる。この日差しだ。粉を拭き取っただけのコートは、すぐに乾くだろう。しかし、自分までも日向にいる必要はない。日陰になっているベンチに腰掛け、本郷は考えをめぐらす。愉快犯の仕業とぐらいしか考えられないものが、あの『手に入りにくい』アクチュエータの存在で、一概にそうと言えなくなっている。そして、それによって爆破予告の手紙も同様に考えなければいけなくなったのだ。
「こちらでしたか」
ドアの開く音と共に、片桐が入ってくる。
「まさか、こんな形でシャワー室を使うとは思いませんでしたわ。団先生にどう説明したらいいのかしら」
同意を示す。対角上の席だった本郷は、上半身だけ――しかもコートのおかげで、着替える必要まではなかったが、隣に座っていた片桐は全身に『被害』を受けていた。団が、彼女の服装の違いに気づかないはずはない。説明をするにしても、どう切り出していいのか。どのみち報告はしなければいけないが、結論は何一つ出ていない。2人を探しに行くといった七海は音沙汰なしだ。
「次の授業まで後20分――ドクター・ドクロ一人で、掃除が終わると思います?」
それはつまり、他の講師が部屋に戻ってくるということ。本郷は首を振り、コートを取りに行く。
「もう一度、シャワーを浴びなければいけないかもしれませんわね」
「次のQクラスは、七海ですから」
そう言って、2人は階段へ向かう。
その頃。外では、花火を片手にDDSに乗り込もうとしていた男と七海による無制限リレーが開催されていたことを、2人は知る由もなかった。
040926
DDS最強(いろんな意味で)の四天王(笑)。話の流れからして、子供が持ってくるほうがいいなーということで、ななみを再登場させました。
普段から凶悪事件とか扱っていると、実はすっごいくだらない事も真面目に考えすぎてしまうのではないかな、と思って書いた話です。きっと七海さんが帰ってくるまで、本郷先生は真面目に考えていると思いますよ、掃除しながら。
「play heart」は「遊び心」。といってもネットの翻訳サイトでてきとーに翻訳されたものなので、こういう言葉があるかは分かりません(ぉぃ