DON'T MISS YOUR PLAY HEART
「はい――。えぇ…少々お待ちください」
内線を取った片桐が、辺りを見まわす。彼女の隣の席は空。おそらく、いつもの場所だろうと、こちらから伝えますので、と一旦切り、続けて番号を押す。
「片桐ですけれど、そちらに七海先生いらっしゃいません?」
「七海ちゃん、片桐先生からお電話〜」
DDSの中でも薄暗さにでは他に引けを取らない室内。蛍光灯を意図的につけない部屋は、ここぐらいなものだろう。七海は、礼を言って部屋の主から受話器を受け取る。
「もしもし、紫乃ちゃん?どうしたの?本郷が何かやらかした?」
「何かやらかすのは七海君のほうでしょ?守衛室にお客様みたいよ」
来客の予定なんかあったかなぁ、と七海は外に出る。DDSへの来客は、例えどんな身分であれ、守衛の許可がなければ中に入ることは許されない。相手が自分を名指ししたということは、知っている間柄なのだろうが、思いつく顔はない。
厳しい残暑ながらも、風は幾分涼しさを含んでいる。
「あれぇ?」
守衛室に設けられたいすに、ちょこんと座る人物に、目を丸くする。抱きかかえたクマのぬいぐるみがやけに大きく見える。予想外の行動は相変わらずだ。
先に気がついた守衛には目で合図をし、そっと近づいて、つい先程、自分が呼ばれていた言葉をかける。
「おーい、本郷、お前が好きそうなラブレター」
背中にかかる声に、本郷はかすかに眉を上げる。何か文句を言おうとしたが、正面に座っている片桐の表情にいぶかしげながら振りかえる。
封筒を片手に講師室に入ってきた七海――の肩越しに幼稚園児ぐらいの子供がこちらを伺っている。さらにいうと、その子の肩越しに、クマのぬいぐるみが同じようにこちらを見つめている。
シュールな絵としてでも扱えば良いのだろうか。
「あ、この子、前にちょっとした事件で知り合いになった、ななみちゃん。何かお使いを頼まれたらしーんだよ、知らないお兄さんから」
当の本人は、そう言ってななみを近くの空いている席に下ろし、封筒を本郷に渡す。
「時間は約30分前。家族で買い物に来ていて近くの公園に立ち寄った彼女に、俺と同じ年齢ぐらいの男――てことは、20代前半ってことだな――に、DDSにこの封筒を届けてくれるよう頼まれたらしい。お礼は、飴玉3つ」
さりげなく年齢詐称を交えた状況説明を聞きながら、本郷は手紙を広げる。
「爆破予告ね…」
覗き込んだ片桐がつぶやく。
「今時、新聞や広告の文字を切り抜いて予告文作る奴もいるんだな。しかも、目的は、このDDSと来たもんだ」
帽子をうちわ代わりに扇ぎながら、七海は本郷の隣、真木の椅子に腰を下ろす。
「ななみちゃん、オレンジジュースは好きかしら?」
『うんっ』
片桐の質問に、思わぬところから自分とそっくりの声が聞こえて、ななみは辺りをきょろきょろ見渡す。
「あのねぇ、七海君」
「俺にもちょーだい」
軽く睨みつけて、片桐は部屋を出て行く。本郷は、相変わらず文面に視線を落としたままだ。
「ねぇ、ここ、こんなにつくえあるのに、3にんしかいないの?」
「あぁ、今、他の人は授業中だからね」
今Qクラスにいるのは真木だ。団はAクラスの特別講義。Qクラス専任の本郷はもちろん、特に手伝いの必要がなければ、片桐もここにいる。普段は他にも2,3人はいるものだが、この曜日のこの時間は、決まってこの3人だけ。そして七海は、ドクター・ドクロの『自室』にいりびたっていることが多い。
「…こーちゃんってせんせいなの?」
「探偵であると同時に、先生でもある。言わなかったっけ?」
「きいてない。でも、にあわないね、せんせい」
無邪気な笑顔できっぱりと言われ、苦笑しつつ、こっちのおじさんよりは先生っぽくない?と本郷を指差す。
「えー、おじさんのほうが、せんせいっぽい」
どのあたりが、と七海は首を落とす。横目で本郷を見ると、まるで2人の会話など耳に入っていないように封筒を調べている。
「はい、ななみちゃん、どうぞ」
オレンジジュースとお菓子を持って、片桐が戻ってきた。
「ありがとう」
「あれ、紫乃ちゃん、俺の分はー?」
ご自分でどうぞ。そっけない返事を返し、席に戻る。なんだかこれじゃ、嫌な上司と気が強いOLみたいじゃないか。
「で、先生の見解は?」
ジュースはあきらめ、本郷に尋ねる。
「せいぜい、監視カメラをチェックして――、馬鹿みたいにはっきりと残っている指紋を調べるぐらいだろう」
手紙の右端。切り貼りの際についたと思われる、糊でしっかりと存在を示しているいくつかの指紋。罠と考えられらなくもないが。
「やっぱりイタズラかねぇ」
公園から近いといっても、DDSの存在を知っているか分からない子供に頼むぐらいだ。警察宛てならともかく、無事に着くかどうかも分からない予告文など、出す意味はないだろう。犯行予告を公言する犯人は、大概自分の存在をアピールしたい輩だ。ある意味、実際の犯行より重要なファクターなのだ。
七海に手紙を返した本郷は、中断していた仕事を再開する。
「こーちゃん、くまさん、つくえのうえにおいてもいい?」
「え?あぁ、いいよ」
重心がかたよっているらしいぬいぐるみは、机の上に置かれたとたん、ひっくりかえった。
――本郷のペンが止まる。書類を整理する片桐の手も。3人の視線が、同じ意図を持つ。
「ななみちゃん、時計、持ってる?」
「もってるよー」
七海の問いに、時計を見せるように腕を上げる。それにはデジタルの数字が表示されていた。
この部屋にある時計は2つ。アナログとデジタルが、ちょうど対になる壁にかけられている。七海が今つけているのは、先程ドクタードクロの研究室で失敬してきたDDSウォッチの新作でデジタル。紫乃のはアナログだが、秒針はスイープセコンドタイプ。ということは、秒針が刻む音は、壁にかけられた1つと、本郷の腕時計だけからのはずだ。
「あれか」
ぬいぐるみが倒れたと同時に、かすかに響いてきた、『3つ目の秒針の音』。人間よりもスチール机のほうが音の反響が大きいのは、いわずもがなである。もっとも、このくらい静かな場所でないと、聞こえないぐらいの音だ。
「そのぬいぐるみ、どうしたの?」
「えーとね、ここにくるとちゅうで、しらないおじいさんにもらったの」
てっきり家から持ってきたものだとばかり思っていたのに。というか、知らない人から物をもらったら駄目だと習っていないのだろうか。
「ちなみにそれ、腹時計機能つき、なんて聞いてないよね?」
聞くどころか、腹時計の意味もよく分かっていないらしいななみは首を振る。
「どう思う?」
視線も身体もななみに向けたまま、トーンを落として後の本郷に問い掛ける。
「共犯か」
「彼女、近くまでは両親と一緒に来たといってた。たぶん、その途中ってのはDDS正門前に続く一本道の入り口か、途中の十字路だろう。他にわき道はないし、あるのはDDSに沿った道だけだからな。迷いようがない」
感心するくらい、彼女の行動力は年不相応だ。しかし、おそらく両親がいたら知らない人からぬいぐるみは貰わないだろう。
「だが、不確実要素が多すぎるだろう」
「確かに。でも、DDSにしか続かない道で、ぬいぐるみ持ってるじーさんなんて、怪しさ大爆発だろ」
最悪のケースを考えるに越したことはない。
「あのさぁ、ななみちゃん。そのぬいぐるみ、あのおねーさんが随分前から欲しがってたヤツなんだけど」
「はらどけいつき?」
「そう。ななみちゃんには、俺が別の買ってあげるからさ、それ、あのおねーさんにあげてくれないかな?」
「ほんと?!いいよっ」
子供と仲良くなっていると、こういうとき便利だろ、と後ろ手でピースサインを見せる七海。
「…彼女、腹時計の意味を知ったら、私のことどう思うのかしら」
「奴にフォローしろと言っても無理だと思いますが」
にこやかな笑みを絶やさず、ぽつりと呟く片桐。本郷は、いくら子供に対してとはいえ褄合わせにも程があるだろうと、軽くため息をつく。
「はい、どーぞ」
「ありがとう」
片桐に人形を手渡したななみは、そのまま本郷の所に来て、飴玉を差し出す。
「はい。おじさんには、これあげる」
「え…いや…」
「もらっとけ、もらっとけ」
鬼の首を取ったかのような笑いをする七海に鋭い一瞥を投げつけ、どうも、と受け取る。
「ドクロちゃんに、一応連絡いれておくから。俺はちょっとその2人を探してみるわ。で、万一本物だったら後はよろしく。――頼むぜ、臨時爆弾処理班」
前半を片桐に、後半を本郷に。2人にしか聞こえないように伝えた七海は、少女を促して部屋を出ていった。
「本郷先生、子供は苦手ですか?」
何とも言えない表情で飴玉を見る本郷に、片桐はくすりと笑った。
「手紙を渡したお兄さんと、ぬいぐるみをくれたおじいさんの顔は覚えてる?」
DDS正門前。まっすぐに伸びる道。突き当たりのT字路との間には、大きな十字路が2つ。
「うん、おぼえてるよ」
「で、おじいさんは、どこにいた?」
「えーとね、あそこ。あ、まだいる」
「あ?」
ななみが指差したのは、2つ目の十字路の手前。バス停のベンチに、確かに老人らしい姿があった。守衛から電話があったのは、20分ぐらい前だ。もし、あの人影がななみの言う老人だとして、単に乗るバスが来ていないのか、それとも別の目的があるのか――。
背中の毛を分けていくと、不自然な縫い目が現れた。既製品としては、である。太い糸と縫い方からして、素人――普段、裁縫などしない人間の仕業か。しかし、ぬいぐるみの長い毛の中に隠れているので気づくことはないだろう。こんな機会でもない限り、調べる人間もいないはずだ。
「お使いになります?」
片桐が取り出した糸切はさみで、慎重に切っていく。布の裂け目から現れたのは、目覚し時計。1秒ごとにカチカチと音を鳴らす秒針。
「本物――ですか」
いくぶん緊張を含ませた片桐の声。
「いや…まだ分かりませんが…」
本郷は首をかしげる。まだ半分ほどしか糸を解いていないが、本来綿が詰めこまれているはずの部分には、空洞があるだけだ。しかし、ぬいぐるみの腹部分の感触は、まぎれもない綿で、押しても潰れはしない。ということは、時計の周りに空間を設けるよう何かで囲ってある、と考えるのが妥当だろう。爆弾なら、こんな手間をかける必要はない。角度を変えてみると、時計の後ろ側に黄色いものが目に入った。
「これは…」
つぶやいた直後に、ぱたぱたと小走りの足音が響き、ドアが開く。
「おまたせー。本郷君、無事かい?」
「鬼首博士」
いつものように頭蓋骨を片手に、もう片方には紙袋――何故か入っているのは菓子類だ――を持って、ドクター・ドクロは謎の台詞と共に辺りを見渡す。
「その紙袋は…?」
「あぁ、これ。七海ちゃんが、腹を空かせたクマと本郷君が格闘してるから、至急講師室に行ってくれと。でも研究室には鮭なんかないから、とりあえずお菓子を持ってきたんだけど、それらしいものはいないねぇ。ところで、本郷君、そのモコモコは何だい?」
気が合うということと、意思の疎通が問題なく出来るということは、イコールではない。子供の手前、率直に爆弾のことを言わないのは分かるが、もう少し考えて喋ったらどうだ。その前に、この科学者はDDSに熊がいるということに疑問を感じなかったのだろうか。本物かもしれない爆弾よりも、その方に対して、本郷は軽い眩暈を覚えた。
「いえ、それは――」
片桐が説明を始める。一転して緊張感の薄くなった室内に、時計の音は変わらずに響く。