DETECTIVES IN 1900 (帝都探偵物語)
「肉フライ?ポークカツレツですか?」
本郷は本から顔を上げる。その先には、困った顔で1枚の紙を手にしている政江がいた。
「えぇ。お嬢様が食べたいと」
「ならば、煉瓦亭にでも行ったらどうです?」
「それが、家で作って食べたいと…」
「作る?」
「えぇ。本に『豚の肉フライ』というものの作り方が載っていたから試してみたいと、これを渡されまして」
試してみたいのなら自分で作れ、というのは通じない。しかし、桜子にしては珍しい注文だ。
「そのメモは桜子が?」
「七海さんから貰ったそうです。つい先日、出たばかりの本を写したらしいですよ」
ということは、食べたいと言い出したのは七海だ。従兄妹そろって新しいもの好き、人使いが荒いのも似通っている。
桜子にとってこの家に来て良かった事は、普通に肉が食べられることだろう。彼女の世話人である政江は肉食反対派だが、他人が食すことには黙っている。尤も、政江が肉に触ることすら避けている以上、女中を雇っていない家での調理は自然、七海か本郷という事になる。しかし、七海は仕事に没頭すると食事を忘れる傾向にあり、倒れられても面倒ということで本郷が軽食を作ってやっているうち、いつの間にやら「料理は本郷の分担」という空気が出来上がってしまった。
今回も「豚の肉フライ」というのだから、当然肉を手に入れなければならず、七海が政江に託したということはすなわち本郷に任せたということである。仕事も一区切りついて暇な身、料理も嫌いではない。概要は、薄く切った豚肉に、鶏卵と麺麭屑をまぶし、多めの豚の脂肪で天麩羅のように揚げて、林檎ソースをかけるというものだった。試してみるのも悪くはない、と本郷は出かけることにした。
昼間というのに雲は重く垂れ込めていて、雪でも降りそうな気配だった。人の姿もまばら。歩みを進めれば、後ろからヒタヒタと付いてくる、微かな音。
「こっくりさん?」
女学校から帰宅した桜子の憮然とした表情に、七海は何かあったのか訊ね、返ってきたのが「こっくりさん」。
「この家は霊的なものを感じるから、こっくりさんをやるにはいい、って邦子が言うの。失礼な話だわ」
何でも、これから道具を持ってやってくるという。日本に紹介されてから15年、相も変わらず女学生の作法のひとつになっているらしい。
「別にいいじゃねぇか、こっくりさんぐらい」
「兄様まで――私は絶対、反対です!」
いつになく力強い桜子の意思表明に、七海はしばし考え、ははぁと笑みを浮かべる。
「何だお前、幽霊、苦手だったんだ」
「なっ、そ、それは――」
あからさまにうろたえる桜子を見て、七海はますます愉快気に笑う。七海自身は『自己催眠誘導現象説』を支持しているが、女学生の間ではまだ超自然的な力が当然の如く信じられていて、超自然的というのは何かといえば神や幽霊ということになっている。桜子も然り。
「まさかお前にも怖いものがあったなんてなぁ。しかも幽霊」
「違います!そんな非科学的な事を――」
「じゃぁ、この家、いられないじゃん」
「え?」
七海の言葉に、桜子は固まる。
「この家、出るって噂なんだよ。オレが買う前に殺人事件があったとかで、な」
りんごは八百屋で難なく手に入ったが、さて麺麭屑は買うものなのか、と、ひとまずパン屋へ向かう途中、天草家の前で立ち話をしている究と流に出くわした。究の桶にはまだ魚が残っているが、『休憩』もいつものこと、本郷に気がつくと、この話を知っているかと話し始めた。
「幽霊?」
「そうなんです。イギリスでもっぱら噂の」
魚屋の究が何故イギリスの幽霊に詳しいのかと思ったが、流から根掘り葉掘り聞いたようだった。しかし話す相手が間違っていよう。口を挟もうとした途端、究の声が止まる。視線は本郷の後ろ。顔はやや青ざめている。
「すみません、ちょっと」
それだけ言って、桶を担いで慌てて去っていく。残された二人は思わず顔を見合わせたが、互いに用件もないので去ることにした。その際に、知っていたらと麺麭屑のことを聞くと、流は目を丸くし驚く。
「え、料理なさるんですか――いえ、すみません。想像しなかったものですから」
そう言われるのも慣れたもので、家事手伝いの斡旋をしに来た業者なぞは、顎を落としていた。
「それならば、ちょうど良かった」
少し待っていてくださいと家の中へ消える。再び姿を現したときに手にしていたのは一斤のパン。
「イギリスで作られているものを再現してもらったんです。味の評価をしていただきたくて、麺麭屑で使う分以外を食べて感想を教えてくれませんか?七海さんは味に煩いと伺いましたから」
流はつい先日、イギリスから帰国したばかりだった。パン作りの修行をしたとは聞いていないが、七海と桜子は喜ぶだろう。
「うわぁ…」
思わず声が揃う。
桜子に押し負かされてやってきた地下室。貯蔵庫のようなところで、茶箱と麻袋があるぐらいだと説明しても、見たいの一点張り。そのうち七海の部屋を漁って鍵を持ち出しかねないと、しぶしぶやって来た。事件は幽霊にも勝るということか。
その地下室の扉の向こうは、色とりどりの葉で埋め尽くされていた。天井付近に明り取りの小窓がある。雨よけの小さな庇とあまり意味のなさそうな細い格子がついているだけで、外は庭。落ち葉が風で飛ばされ入ってきたのだろう。つまり、格子はあまりではなく全く意味がないということだ。
「板でも張るべきかな」
「真っ暗になってしまうからよしましょうよ。ここ、秘密の隠れ家に良さそうだわ」
「鍵はオレが保管しているし、オレ以外に持たせようとは思わない」
茶箱の上に灯りを置いて、七海はぐるりと小さな部屋を見渡す。
「…何か臭うな」
「枯葉じゃないかしら」
「それにしちゃ、生臭い」
「外から?」
「篭っている気もするんだがな」
気になれば調べればいい。火が落ち葉に移らないように注意しながら、探索を始める。程なくして、成果が出た。
「あぁ、これか」
臭いの元は、どうやら魚の骨だったようだ。やはり風で飛ばされたのだろうか。しかし、この窓は庭に面している。庭はそれなりの広さもあり垣根で囲ってある。その外からごみが入ってくるのは誰かが捨てない限り無理だろう。自分達は庭にごみを放置はしていないはずだし――。
「あれ?まだある」
魚の骨。尻尾。頭のかけら。どれもばらばらになっているからはっきりとは分からないが、2匹分以上はあるようだった。
「誰かが意図的に捨てたのかしら」
「嫌がらせに?それにしちゃ、姑息だな」
とりあえず隅にまとめておく。他にも紛れ込んでいそうだ。適当に落ち葉を掻き分ける。
「何だこりゃ」
摘み上げたのは、固くなった油揚げ。かじった跡がいくつか残っている。
「揚げといえば、お稲荷さん」
「え?」
七海の呟きに、ぎょっと、桜子が反応する。
「幽霊は幽霊でも、キツネだったりしてな」
次に向かったのは養鶏所。距離があるが散歩と思えばいいだろうと歩いていると、聞こえてきたのは言い争う声だった。3人のうち1人は知った声。見渡すと、洋菓子製造所の裏からのようだ。
「だから――あ、本郷さん」
顔を覗かせれば、案の定、そこにいたのは鳴沢だった。後の2人の男は見覚えがない。3人が囲んでいるのは、20個ほどの卵。
「ちょうど良かった。ちょっと意見を貸してください。卵なんですが」
「卵?」
男のうち1人が憤慨の面持ちで話す。
「うちは、産み落としてから2時間以内の卵しか使わないって言っているのに、この男ときたら」
もう1人がすぐさま反論する。
「今朝のものだから新鮮ですよ!その2時間という根拠はどこなんですか」
そして鳴沢。
「卵がないと菓子が作れない。菓子がないと売るものがない、というわけなんです」
つまり菓子職人は、自分は材料にこだわっていると言いたいのだろう。一昔前は売って下さいと低姿勢だったのが、一旦人気が出れば横柄になる輩はどこにでもいる。今も、言うだけ言って建屋の中へ入ってしまった。
「別に、ここで作る菓子が全てではないだろう。欠品が出るのが嫌なら、臨時休業にするか、他の店へ頼んだらどうだ」
「僕はまぁ、それでもいいんですけど…」
目を移したのは卵。余っているのならと、5個を買い上げる。おかげで、養鶏所まで行く必要はなくなった。
「本郷さんは、お菓子、作りませんよねぇ」
作るどころか洋菓子は進んで食べようともしない。七海なら、その気になれば出来そうだが、同じ事の繰り返しを嫌う男が菓子職人になるとも思えない。
「兄様、これ見て!」
キツネの幽霊に多少気押されたものの、探索を続けていた桜子が枯葉の中から見つけたのは、手ぬぐいだった。しかも。
「これ、血じゃないかしら」
量も多くはなく赤黒く乾ききっているが、まず間違いない。すんなりとここへ紛れるものでもない。小窓から押し込んだか誰かが忍び込んだか――。
「鍵はオレしか持っていないはずなんだがな」
「合鍵ぐらい、作れるんじゃないかしら。西洋の鍵は作りが簡単なんでしょう?私でも出来そうだもの」
早急に錠前作りを頼もうと内心で決意して、この家の見取り図を思い浮かべる。地下室への入口は、そう目立つ場所にあるわけではないが、玄関からも勝手口からも遠い場所にある。家人に見つからず忍び込むのは難しい。
「このくらいなら、見つかると不都合があるからここに捨てたって考えるほうが、自然じゃないか」
「探偵が3人もいるっていうのに?」
「お前は違うだろ」
しかし桜子の言うことももっともで、捨てるなら少し行けば空き家もあるし、土手や川、山だってある。手ぬぐいに個人が特定できる特徴は何らない。そこそこ名の知れた二人の探偵がいる家を選んだ理由はなんだろうか。
事件めいたものを見つけたからか、がぜん桜子はやる気を出して、枯葉の山に取り掛かった。
最も重要な材料、豚肉を買いに行くと、隣接している牛鍋屋から、遠山と同僚だろう、2人の警官が出てきたところだった。遠山は本郷に気づくと、襟を正して、少し間が悪いと言いたげに寄ってくる。本郷が彼を目にするのは、大概、休憩中のところである。
「この男を見かけませんでしたか?」
渡されたのは人相書き。東北の方から逃げてきた犯罪者だと言う。罪名は、窃盗、傷害。
「先日、神奈川の方で発見されたのですが、またも逃げられたらしく、この辺りに潜伏している可能性も高いということなので、見かけたら知らせてください」
「何か特徴はあるか」
「怪我をしているようですが、その辺りはよく分かっていません」
ところでそれは何です、と指差したのは、本郷が持っている食料だった。和紙で包んだパンを抱え、風呂敷の中は卵。袂には林檎も入っている。さらにここで渡された肉と脂。買出しにも見えるが、本人に意図はないものの本郷の外見がそれを拒絶している。説明するのも億劫で、手配書は七海にも渡しておく、と踵を返す。
去り際、本郷の後ろを見て、遠山の目が丸くなったのが、視界に入った。
こっくりさん一式と友人がやって来たということで、桜子は一旦、退室した。七海はなおも掃除がてら探索を続け、見つかったものを茶箱の上に並べていく。魚の骨がおそらく2匹分と頭1匹分、干からびた油揚げ1枚、血の付いた手ぬぐい、折れた簪、銅貨と銀貨合わせて10銭、ネズミの死骸。
金が交じっているとはいえ、ごみといえばごみだろう。ネズミに関しては、少し前にペスト予防を理由にネズミの買取をしていた市に連絡を入れるべきだろうかと言う問題が持ち上がったが、気になるのはやはり、血の付いた手ぬぐい。この付近で、流血騒ぎになる事件は、ここ最近ない。怪我をする人ならいるだろうが、わざわざ、人の家に捨てていくのは解せない。
悲鳴が聞こえたのはそのときだった。複数人の女子。桜子の友人だ。駆けつけると、その悲鳴を上げた人物らは外に逃げたらしく、憮然とした桜子と、七海の目論見どおり買出しから帰ってきて鉢合わせたのだろう、大荷物の本郷が立っていた。
「何かあったのか?」
本郷は言葉にするのも面倒らしく、視線を後ろにやる。桜子の、呆れ気味の声が続く。
「幽霊は平気なのにネズミが怖いってどういうことなのかしら」
そこにいたのは、ネズミをくわえて得意満面の三毛猫が座っていた。
「で。その猫は何?」
お茶と饅頭で一息つき、七海は本郷の膝の上で丸まっている三毛猫を指す。見事に似合わない図だが、猫は気持ち良さそうに眠っている。
「以前、怪我をしているのを見かけて処置をしたことがある。それで懐かれたようだ」
先の道中でもずっと後ろをついてきていた。以前、キュウの桶から魚を失敬した過去もある。だから彼は逃げていったのだろう。一体どこでネズミを捕まえたのかは知らないが。市に連絡をすると人を寄こすと返ってきた。
「野良ではあるが、この家にはよく出入をしている」
「そういえば、庭によく姿を見せていたわ。魚をあげたこともあったけど…」
魚。七海は眉をしかめる。
「もしかして、怪我の処置って、この手ぬぐい?」
血の付いた手ぬぐいを見せる。本郷は少し驚いたように頷いた。
結局、地下室に住み着いていたのは、明り取りの小窓を出入り口としていた猫だったのか。七海と桜子は同時にため息をつく。
「残念だわ、事件と何にも関係なくて」
「残念だな、幽霊と何にも関係なくて」
本郷が取り出した手配書で七海と桜子が揉めるのは、また別の話である。
08/04/18
帝都探偵物語は、07年の冬コミに出した本です。
この話も入れたかったのですが、どうにも組み込めなかったので没にしました。本編より前の、意味もないぐだぐだした話。
家そして探偵事務所の主は七海さん。本郷さんは相棒というかそんな感じの下宿人。桜子は七海の従妹、政江さん(神隠し村で七海さんが変装していた人)は桜子の世話人。
キュウは魚屋の棒手振り、リュウはイギリスと日本を行き来している学生兼宝石鑑定師、カズマは洋菓子店の2代目店主、キンタは巡査、出てきていないけど桜子の友人がメグと邦子。
紫乃ちゃんはまだイギリスから日本へ向かう船の上なので出てきません。