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ON THE BORDER


 賑やか。そう表現するのは妥当だろうか。人通りはあるが一人歩きの女性はいない。巷でロクな噂なのない界隈、それは正しい。手の中の鍵。それを握りしめて、片桐は通りへ一歩、足を踏み入れる。冷たい秋風に、コートが舞う。


 誰もが自分を見ている。珍しい――むしろ運悪く迷い込んだ、そんな視線だ。神経を張りつめて目的の店へ向かう。角を曲がると、人の気配が消えた。


 突然、背後から口を押さえられ、身体を拘束される。そのまま、非常口だろうか、ビルの中へ連れ込まれる。時間にして5秒にも満たない。武道の心得はある。その辺りの人間相手になら難なく切り抜けられるほどには。だが、この相手は。馬鹿力というのではない。確かに力はあるが、それに任せることなく、反撃に繋がる動きが全て封じられている。
「俺だ」
 耳元で、ともすれば吐息としか認識できないような声。途端に力が抜ける。自分からも、相手からも。それでも最低限の構えだけは保ったまま、振り返る。
「本郷君――」
 外の光に辛うじて浮かび上がる、ここしばらく見ていなかった顔があった。
「何しに来た」
「仕事よ」
 街中で会っても声はかけない。仕事中の基本だ。それを知らない、また、実行できない本郷ではない。理由があるのだろう。片桐に先を促すような視線を向けていた。
「――この鍵を手に入れて。調べたら、この街にある店の裏口の戸のものらしいの」
 店の名前を告げ、手の中の鍵を見せる。
「そこで人と会う約束は」
「ないわ」
「鍵は人伝で手に入れたのか」
「いいえ。ターゲットの荷物から偶然」
 了解なしに鍵を取られる。抗議の声を上げようにも再び口をふさがれた。
「必要ならば、俺が行く。お前は、関わるな」
 この店にも、この街にも。無言の忠告。ここの事を、知らないわけではないだろう。
 ――ドラッグ通り。それが、業界内での、この街の呼び名。
 普段の本郷であれば、さりげないアドバイスはあるものの、決して自分からは他人の仕事に口出しはしない。これはアドバイスでも何でもない。命令だ。本郷が下せる権利も、自分が従う義務もない。だが、拒絶できない。
「――分かったわ」
 街からも本郷からも、ただならぬ雰囲気は感じている。自分がここにいることで、彼の仕事に差し障りが出るのだろう。帰ろうとすると、腕を掴まれる。
「どこへ行く」
「帰るのよ」
 ロクでもない噂ばかりが立つこの街に、長居するつもりはない。
「この通り自体が、一つの監視下に入っている。2、3分で出て行こうとしたら、別の店に引きずり込まれるのがオチだ」
「――監視?」
「ここに来る者の理由は一つ。短時間で戻ろうとする者は、偵察者とみなされる」
 多少道を外しても、それなりの生活を送っている人間が、何となく足を向ける場所ではない。道中、引き返すことを警告する場面には幾つも遭った。
「ただでさえ、2ヶ月ぶりの『新入り』だ。当然、目をつけられている」
 背筋に冷や汗が流れる。この街は、噂以上だったのか。動揺が伝わったのか、本郷の顔から少し厳しさが消えた。
「時間つぶしに飲んでいくか。奢るが」
 そこで初めて、本郷の姿をまじまじと見る。いつものコート姿ではない。
「…バーテンダーにもなれるとは、知らなかったわ」
「必要なら、何にでもなる。それが、仕事だろう」
「――そうね」
 やっと、緊張が解けた。
「名前を聞いておいたほうがいいかしら――この街での」
「本間辰幸だ」


 荒んだ街には似合わない、品のよさがある店だったが、そこにいる人々もそうかと言うと、素直に頷くことは出来ない。まだそう遅くない時間、店内の客はまばらで、だが、片桐が入っていくと全員が好奇の視線を向け、ついで入って来た本郷を見て、残念そうに顔を戻す。カウンターで客と話していたバーテンダーが、肩をすくめた。
「お前、金曜の夜に早々に帰る気か」
「えぇ。彼女を送っていかなければいけませんから。すみませんが、早退で」
 本郷も薄く笑みを浮かべ答える。
「送っていくって、本間君の家は、徒歩圏内だろう」
「帰ってくるのに、時間がかかるのよ。まだ若いんだし」
 客たちも加わる。会話の中に、暗に含まれている内容にも無難な笑いを返し、本郷はすっかり溶け込んでいる。一体、いつ頃からここにいたのだろうか。まさか2ヶ月ずっとというわけでもあるまい。カウンターの中に入っていった本郷に、バーテンダーが何かを耳打ちする。本郷は軽く横に首を振り、仕事にかかった。


* * * * *


 ぼんやりとした意識に聞こえてきたのは、シャワーの音。すぐに止む。それがまるで合図であったかのように、目が覚めた。当然、自室ではない。勢いよく起き上がる。コートと上着は脱がされているが、他に着衣の乱れはない。めがねは枕元。時計を見る。短針は12を指していた。あの店で記憶があるのは0時前。12時間も寝ていたというのか。辺りを見渡す。コンクリートが打ちっぱなしの、シンプル、と言うのが正しいのだろうか、そういう部屋だった。今、自分が寝ていたベッド。冷蔵庫、1人掛けのソファ、テーブル、テレビ、小さな衣装ダンス。それだけだ。軽く頭痛がする。カクテルを3杯飲んだだけだと言うのに。寝すぎか――。
「目が覚めたか」
 ドアが開き、入ってきたのはタオルを手にした本郷だった。ジーンズにシャツを羽織っただけの姿。髪の毛はまだ滴が落ちる位に濡れていて、不必要に色気があった。実年齢より上に見られることが多い彼だが、今は、その逆だ。ともすれば、自分と同じか、それより下にすら見える。おそらく、本間と言う人物がそうなのだろう。
「――説明して欲しいんだけれど」
 そういう感想を持ってしまったことを誤魔化すように、片桐は口を開く。
「昨日のお酒、何を入れたの?」
「変な味でもしたか」
「美味しかったわよ。転職できるほどにはね」
 冷蔵庫から出したミネラルウォーターのペットボトルを投げ渡される。
「安心しろ。ただの睡眠薬だ」
 ベッドの片桐に向かい合うよう、本郷はソファに腰を下ろす。
「…一体、何をどう安心しろと言うのかしら」
「合法な薬だったことに」
 しれっと、洒落にならない台詞に、片桐はため息をついた。
「あの鍵の店。何故、入ってはいけないの?」
 昨日は何も聞かずに引き下がろうとしたが、外の明るさと場所が変わり、気持ちに余裕が出来たのか、それとも本郷の答えに少しカチンときたからか、片桐は問いを口にした。
 本郷は僅かに眉をしかめたが、長い付き合い、一方的な通告で納得する相手ではないと分かっている。
「あそこのリピート率は高い。店は95%と言っているが、そう大げさではなさそうだ。『飲まない』で帰れる者は0%だからな」
「…例え、たまたま入ったとしても?」
「昨日も言った。この界隈で『偶然』はありえないという認識だ。目的は一つ。どの店も提供する用意は出来ている。偶然と言い張るなら、客にするだけだ。あの店は、『初回サービス』がいいんだ」  聞き捨てならないことを言い捨て、本郷はミネラルウォーターを一気に飲み干す。本郷と本間は違う。今の彼は、本郷であるが、時折、こういう行動に別人が入り込む。彼にしては珍しいことだった。それほど長い期間、ここにいたということか。それとも自分が本郷と言う人物を知らないだけだろうか。いや――。
「…リピートしなかった5%は」
「死んだ者、遠くへ行ってしまった者、拘束された者」
「そして、本郷君ね」
 ひた、と目を見据える。本郷の真っ直ぐな視線が迎え撃つ。ベッドから降りて、近寄る。この街で、人格に違いが出る理由など、考えるまでもない。偶然の訪問が許されないのなら。
「腕を見せて」
 今度は本郷がため息をついた。だが、拒否はせず、袖をまくる。
「両方よ」
 そうやって目にしたものに、片桐の表情は一気に険しくなった。
「これは何?」
「見れば分かるだろう」
 まるで、反抗期の子供のような答え。
「時期は」
「1年前」
「嘘おっしゃい」
 掴んでいる手を振りほどき、本郷は袖を戻す。多数の痣は白いシャツに隠れた。そして、浮かべたのは笑み。片桐の表情は、ますます厳しくなる。
「笑い事じゃないわ」
「お前でも信じるくらいだ。それだけ、説得力がある」
「何を――」
「煙、液体、粉末、錠剤。それらを利用しているかどうかなんて、症状でしか判断できない。だが」
 冷蔵庫の中から白い箱を出す。その中から、1本、無造作に渡される。個別包装された、注射器。
「安心しろ。中身は、ただのブドウ糖だ。3週間も続ければ、この数も不思議ではない」
 身体から力が抜け、それを手にしたまま、思わずへたり込んだ。
「…ねぇ、本郷君。貴方の全力投球な嘘を、見破られる人がいると思っているの?」
 もう少し、お手柔らかにして欲しいわ。片桐はひとりごち、ふと、顔を上げる。
「さっき、1年前って」
 ブドウ糖は3週間。では、片桐の問いの答えは。今まで、お互い、意図的に外していた言葉。本郷は目をそらさない。例え何があろうとも、彼が目をそらすところを、片桐は見たことがない。
「あぁ」
 息を呑む。
「安心しろ」
 その言葉は、もう3回目。
「既に抜けている」
「――そういう問題ではないわ!」
「紫乃」
 立ち上がりかけたところを、腕を掴まれる。本郷は言った。あそこに訪れる人間の目的は一つ。どの店も提供する用意は出来ている。自分には運よく本郷がいた。与えられたのは睡眠薬だった。だが、彼がここを訪れた時に、そういう人物がいただろうか。――利用しているかどうかなんて、症状でしか判断できない。それも彼自身が言った言葉。ならば今は、単に症状が出ていないだけなのでは。服用方法はいくらでもある。これもブドウ糖などではなく――。
 いや。得意の嘘なのかもしれない。だが、それを確認する術はない。そう、いつも、彼についてはそうだった。彼の言う事を信じるしかない。出身も、年齢も、もしかしたら名前だって違うのかもしれない。いつだって、証拠を残すような言動はしてこなかった。今も。彼が何故ここにいるのか、どんな仕事を誰から依頼されたのか、それすら知らない。
 見慣れた顔を見据える。髪の毛から落ちた滴が、頬に沿って流れ、シャツを濡らす。荒廃の影など、欠片もない。
「――信じるわ」
 それしか、自分に与えられた選択肢はない。卑怯だ、と思う。それでも。
「貴方がまた、戻ってきてくれると言うのなら」
 このまま、この世界に身を落とさなければ。その言葉に、本郷は、口角を上げた。
「当然だ。仕事が溜まっている」
 表面をなぞるだけでは、分からない。深く入り込むことが必要になることもある。彼を責めることは出来ない。今までも、幾人もの人がボーダーラインを越え、そして戻ってこなかった。
 小指を突き出す。
「約束よ」
「――そんな子供染みたことをするとは、思わなかったな」
 半ば呆れたように、しかし笑って、本郷も差し出す。それを絡め取り、きつく握る。離れないように。この繋がりを、忘れ去られないように。





07/07/16
本郷さんと紫乃ちゃんのパラレルです
DDCかどうかはおろか、探偵かどうかも未設定。だから団先生も七海さんも出てきません。設定は「ヤバイ世界に足を突っ込む事もある職業の同僚」だけです
1期生3人のうち2人だけで世界を作ると、どんなものでも書けそうな気がします。あまり楽しい話ではなさそうですが。本郷さんの真意(真偽?)はご自由に想像してください






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