The First Day
目を開ける。水の流れる音。滝。いや、滝ではない。水の壁とでもいうのだろうか。そんなものが、存在するならば。
顔を上げる。柔らかい光を通して、ゆらゆらと揺れる模様。きっと水中から空を見上げたら、こういう感じなのだろう。
足元を見る。水。僅かに靴底が隠れる程度の深さ。それにも拘らず、底は果てしなく、光が届かない。
後ろを振り返る。何もない闇。どこまでも広がっているようで、手を伸ばせば見えない何かに阻まれそうな、闇。しかし、そこから恐怖は感じない。
ここはどこだろう。水の上に立っていて、水の下にいて、水の壁にさえぎられた空間。一体、いつの間に、こんなところへ来たのか。
そうか、夢か。頭に手をやる。いつも被っている帽子はなかった。
水の壁は、まるでビニールシートのように薄く、透き通っていた。だが、流れが視界をさえぎる。目を凝らす。人影が見えた。
「――本郷!」
後姿だったが、見間違えるはずはない。突然、不安に掻き立てられる。水の壁の向こう側。何故か、行ってはいけない場所だと、頭の隅で警告音が鳴る。
「本郷!戻って来い!そっちはダメだ!」
何がダメなのか。戻る場所はここでいいのか。そんな事は分からない。ただ、唯一、本郷がいる場所は危険だと、確信を持っている。
七海の声に、ゆっくりと、本郷は振り向いた。そして同じように、ゆっくりと、微かに――笑った。
その笑みを、一度だけ見たことがある。
「お前みたいな、命根性キレイそーなヤツ、大っ嫌い」
いつかは忘れた。何故そういう話になったかも忘れた。七海の台詞に、本郷は、確かに笑った。嘲るような笑みだった。危険を伴う事件が多く持ち込まれるDDCで、命を惜しがるのか、と言っているようだった。その時は、そうとしか思えなかった。
違う。ざあざあと流れる音に、呟いた声はかき消される。
あれは、むしろ自嘲的な笑みだった。
「本郷!」
オレは何を焦っている。自問自答する。問いだけで答えが出ない。壁に手をつく。瞬く間に、袖口までびしょ濡れになる。水だ。なのに、何故、通り抜けることが出来ない。
本郷の腕が動く。指差したのは、七海の後ろに控える暗闇。行け、と唇が動いた。
「お前が来い!」
再三の七海の言葉にも、本郷は動かない。再び、口を開く。はっきりと見えないはずなのに。聞こえるはずもないのに。
――お前は『右腕』だろう。
「ふざけるな!」
壁を叩く。
「そんな理由で――」
そっちに行く資格がないというのか。
「卑怯だろ!」
何もかも、人に押し付けやがって。
七海の言葉に返事をすることなく、本郷は背を向ける。そして、そのまま遠ざかる。
「たまには、人の話を聞けよ!」
体の芯まで濡れそぼっていた。何度も叩きつけた手が痛む。
分かっている。あいつは、笑って死ねるやつだと。その時にしか、あいつは笑ってくれないと。
こちらから連れ戻せないのなら。仰ぎ見る。あの優しい光は、向こう側にも続いているのだろうか。
「――連城さん――!」
―――― ………。
明るかった。一瞬、呼吸の仕方を忘れる。鳥のさえずり。朝。
「…何だ?」
今のは。夢か。夢以外に何がある。それにしても、変な夢だった。あまり見たいものではない。そもそも本郷が出てきた時点で悪夢と言えよう。
目覚まし時計が鳴る前に起きるのは久しぶりだ。6時。頭がはっきりしない。シャワーでも浴びようか。そんな選択が出来るほどの余裕。
10分後。いつもと同じはずの携帯電話の着信音は、気違いの如く鳴り続けた。
05/03/21
3.「お前みたいな、命根性キレイそーなヤツ、大っ嫌い」
七海さんは、別に死を恐れているわけではないけれど、周りの人がそうさせまいとしている、そんな感じでしょうか。
本郷先生は、何かの為に笑って死ねる人だと思います。