1.初顔合わせ
春が近づいてきたとはいえ、夜の空気は冷たい。窓を開ければ、息は瞬く間に白くなる。星が綺麗だった。心なしか、いつもの夜景も違って見える。それは、今の自分の心境からだろうか。今夜は羊を数えなければいけない。そんな事を思うだけでも楽しくなる。小学生ではあるまいし――。いや、その比ではない。決められた入学や遠足とはまた違うのだ。
うっすらと靄がかかる朝。鳥のさえずりもいつもより少ない。ざわざわと葉のこすれる音。弓のしなる音。自分の心音。的まで28m。白いベールが目標を隠している。息を止める。全ての音が止まる。刹那、空気を割く音。木を裂く音。ギリギリ当たったぐらいか、と息を吐く。いつもより若干緊張しているのかもしれない。それでもこの高揚感は嫌いではない。
カツカツとチョークが削れる音。うるさいとはいえないが、ちらほら聞こえる会話。鞄を抱えて、そのまま身を沈める。戦地の兵士はきっとこんな気分なのかもしれない、と匍匐前進の如く教室の後ろの出口へ向かう。戸口までは何の問題もなく、あとは友人が上手くやってくれれば――。突然扉が開く。目の前には黒いサンダルと白い靴下、ジャージ。
「下校には早い時間だな」
顔を上げる。教育指導、という任務を担っている体育教師だ。今しがたまで黒板の前にいたはずなのに、瞬間移動でもしたのだろうか。
「先生、靴下、穴、開いてますよ」
にかっと笑う。教師も笑う。子供は間違いなく泣くだろうという笑顔だった。立ち上がると教師は1歩近づいてきた。自然に1歩下がる。
「1週間前も、試験とやらで半日いなかったそうだな?今日は一体なんだ?」
「えーと、その、入学式…」
「ここも卒業せずに、どこに行く気だ、お前は」
クスクスと笑う声が聞こえる。全員の顔がこちらに向いている――いや、1人、共犯は。
「やべぇっ!寝てた!」
ガバッと上半身を起こした友人に、全員の気が取られた。今のうち。身を翻し、開けっ放しの窓枠へ手をかける。女子の悲鳴が聞こえた。
「あ!おい!ここは2…」
教師が伸ばした手は僅かに届かず、しかし飛び降りる、なんて真似はしない。すぐ横の配管をつかみ、のぼり棒の要領で降りていく。無事、校庭に着地。
「昔は消防士になるのが夢だったんでーっ」
窓から身体を乗り出した数名に声をかける。
「じゃぁ、今日は消防の入団式かぁっ?!」
負けずと教師も声を張り上げる。他のクラスからも野次馬が現れた。早いところ、靴を履き替えて向かわないと遅刻する。初日からそれは避けたいところだ。
「時間がないんで、隣にいるヤツに訊いてくださいーっ!!」
皆の気を引く、という、結果的にその役をこなした共犯の男子を指差す。寝ていたのは見逃そう。
「おぅ!がんばれよ、七海!」
Vサインで応えた友人はすぐに教師に噛み付かれていた。
それはある程度年月の経った洋館だった。一般家庭向けの家ではなく、別荘として建てられたものなのかもしれない。ぐるりと1周して、正面玄関へ戻る。真新しい板が立てかけてある。外から見た限り、中に人はいない。一番乗りなのだろうか。その前に、何人いるのかも分からない。まさか1人、ということはないだろうけど――。
「あの」
「きゃっ?!」
突然後ろから掛けられた声に、口をついて出た小さな悲鳴。一気に早まる脈拍に、落ち着いて、と叱咤して振り向く。相手は背の高い男子学生だった。自分の反応に――としか思えないが――多少困ったような表情を見せていた。
「あ、すみません。ちょっとびっくりして――」
「いや、こちらこそ――」
しばしの沈黙。
「……えぇと、入学式に?」
片桐の問いに少年は頷く。
「じゃぁ、私と同じね。――片桐です。よろしくお願いします」
「本郷です。よろしく」
これで2人。それにしても――今は隣にいるというのに、目を離せば誰もいないような錯覚を覚える。幽霊だったらどうしよう、と非現実的な考えが浮かぶ。
「あっ!」
今度は遥か遠くから聞こえた。2人同時に振り向く。本郷とは別の学生服を着た少年。肩が大きく上下している。走ってきたのだろうか。
「今日の入学式に出る人?」
大声の問いかけに、2人は無言で頷く。この距離でそれが分かるのかは疑問だったが、少年は走りよってきた。軽い癖っ毛に人懐っこい笑顔。それが影響しているのか、やや幼く見える。
「よかったぁ、遅刻しなくて。あ、俺、七海光太郎。よろしく」
先ほどと同じ会話が繰り返される。これで3人。入学式までは後20分ある。
「中に入らないの?」
片桐は、鍵がかかっているの、とドアを示す。
「誰もいないのかな?…勝手に開けたら、まずいよなぁ」
「勝手に開ける?」
七海の呟きに、本郷が訝しげに尋ねる。鍵がかかっているのに開ける、というのは。
「あ、いや、なんでもない」
カチャリ。その会話を遮るように金属音が鳴る。ギィ、と扉が内側から開く。片桐は一瞬怯んだものの、相手の顔を見て、安堵のため息をつく。試験の時に見た顔だ。
「やぁ、揃っているね。ちょっと準備が滞って――。さぁ、団先生も、待っていらっしゃるよ」
年齢不詳、としか言いようのない男性。名探偵、団守彦の右腕。だが、一体誰が、彼の職業を当てることが出来よう。
「揃ってるって、3人しかいないんですか?」
七海が手を挙げて質問をする。扉を開ききった男性は、にっこりと笑って、肯定した。
「何しろ初めての試みだからね。団先生から説明があるだろうけど、入学までたどり着いたのは、君たち3人だけだよ」
顔を見合わせる。喜びと疑問と緊張が混ざった表情。
「入学おめでとう。ようこそ、DDSへ」
連城に促され、3人はほぼ同時に、彼らの新しい学び舎へ足を踏み入れた。
05/09/09
書きたかったのは七海の脱走劇と、本郷の弓道。本郷君は、キンタが習得していない武道もやっていてほしいなぁ、と目をつけたのが弓道、居合道です。袴が似合いそう
…お題は「初顔合わせ」です。